*特別進学コース
東京大学 文科I類 一般入試で合格
吉田くん
平成18年3月
特別進学コース卒

唐桑中出身




同じ志を持った
仲間と学べば
受験勉強も楽しいものです


入学当初から大志義塾の
 仲間たちに刺激されて

 唐桑中学校を卒業して仙台育英へ。最初の1年間は大志義塾に入りました。この1年間が、高校生活3年間の中でいちばん勉強した時期でした。大志義塾に入寮してくる仲間たちは、みんな“大きな志”をもってやってくる。そんな仲間たちの頑張りぶりに影響されて、スタート時点からかなり勉強に励みました。最初の1年間でしっかり勉強する習慣を身につけることができたことが、結果的に“志望大学への現役合格”につながったのだと思います。
 そもそも、仙台育英に進学したのは“大学受験”という目的のため。大学進学が目的で入学したのだから、勉強するのは当然という心構えで臨みました。進学する高校を選ぶにあたってはいくつかの候補があったのですが、仙台育英を最終的に選んだのは校舎が仙台にあるから。仙台は県の中でいちばん情報が集まっているところ。そんな場所なら、たとえば受験用の参考書ひとつ選ぶにも、他の地域よりも有利なわけです。


小中学校の図書館での日々に
 学ぶことの楽しさを覚えて


 「勉強する」こと、「学ぶ」ことは小さい頃から好きでした。僕は小・中学生のころ、多くの時間を気仙沼の市立図書館で過ごしました。これには少し事情があります。母は保険の営業の仕事をしていました。父は当時、船の通信員の仕事をしていてほとんど不在。僕は一人っ子で家に置いておくのは不安ということで、母が仕事で家を空けている間、図書館に預けられていたのです。普段の日の放課後はもちろん、学校が休みの時は一日中図書館で過ごすということもよくありました。それで図書館の中にある本や漫画を広げては時間をつぶしていたのですが、そのうちに学ぶこと自体が楽しくなって、中学生の頃には母がやっている保険の仕事の中身などについて独学で学んだりしました。僕の政経好きは、そのときから始まっています。
 目標に向けて勉強を進めていくということは、この“図書館の日々”で身につけたのだと思います。英検についても中学2年生で2級を取り、高2の時に準1級を取りました。自分で参考書を買って勉強を進めた結果です。ですから、普段の学校の勉強についても、自分自身で計画を立てて進める予習を中心として、“授業は復習”という姿勢で臨んでいました。


同じ志の仲間と学べば
 受験勉強も楽しいものに


 小・中学生のころに図書館で身につけた勉強法のせいもあるのでしょうが、高校のころには“自分で計画を立てマイペースで進めていく”というのが当たり前の勉強への姿勢になっていました。ですが、この方法で“独善的”になるようなことは避けるように心がけていました。3年生のときには国語の大内久夫先生に週1回のペースで現代文の添削をお願いしていました。「独善的になるな」とは、大内先生の教え。先生は次のような言葉を僕に教えてくださいました。
 学びて思はざれば則ちくらし。
 思ひて学ばざれば則ちあやふし。
 大学生になっても、大内先生から教えていただいたこの言葉を忘れることなく学問に励んでいきたいと思っています。
 「勉強に明け暮れた3年間」とはいっても、特別進学コースでの日々は決してつまらないものではありませんでした。同じ目的、同じ夢を持った仲間たちと互いに教えあったり、精神的に励まし合ったりしながらの日々はとても楽しいものでした。それで、結果的に第一の目標を達成することができたのですから、こんなに嬉しいことはありません。指導してくださった先生方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
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東京大学 文科III類 一般入試で合格
中里くん
平成18年3月
特別進学コース卒

船迫中出身

東大に進んだ先輩たちに
励まされながら、目標の
現役突破を達成しました


大学進学への夢を
 後押ししてくれる高校として

 中学生の頃から「めざせ、東大」という思いがありました。中学校の文集にも「東大に行くぞ」と書いたくらいでしたから。高校に進学するにあたって、さて、その夢を実現するためにはどうすれば良いかと考えたのですが、公立高校では進路指導に対してあまり熱心でないところもあるようです。自分はというと、周囲からあれこれ言われないと動き出さないタイプ。とすると、大学進学のための指導をどんどんしてくれるところの方が良い、ということで仙台育英を選びました。
 3年間、船岡駅から通いました。大志義塾への入寮も考えたのですが、自分は自分自身のペースを守りながら勉強を進めていくタイプ。とすると、勉強をするのは一人っきりのほうが良いかなと言うことで自宅から通学することにしました。毎日の電車内での時間は単語帳を開いたり、時にはその日の授業の予習をしたり…。うまく使えば、結構有効な時間になるものです。


1、2年生でしっかり
 基礎を身につける


 特別進学コースでの授業がスタートしてはじめに感じたのは「けっこう大変かもしれないな」ということ。クラスが『東大選抜クラス』だったこともあるのでしょうが、周囲はみんな、東大にストレートで進んでいきそうな人たちばかり。中学生時代の自信も、少しゆらぎました。
 授業もかなりレベルが高く、密度の濃いものでした。はじめはついていくので精一杯。ですが、続けていくうちに、これが自信へとつながっていきました。つまり、「これだけ高いレベルの授業を毎日こなしているのだから、毎日しっかり積み重ねていけば、必ず志望の大学にたどり着けるぞ」と…。実際、現役で東大合格へとたどりつけたのは、英数国について、1、2年生の時の授業で基礎をしっかり身につけていたからだと思います。

東大に進んだ先輩に
 相談しながら


 特進の3年間で印象に残っているのは、3年間参加した東京での勉強合宿です。東大に進んだ先輩などがチューターとして指導をしてくださったのですが、勉強面はもちろん、“進学への意欲”の面でもとても刺激になりました。合宿には1日休みの日があるのですが、3年生の時にはクラスメイトと連れだって本郷の東大キャンパスへと出かけました。安田講堂を見上げて「絶対合格してやるぞ」と、思わず心の中で叫んでしまいました。
 東大のどの「類」を受験するかについて悩んだ時も、東大に進んだ先輩に相談に乗ってもらいました。さすが内部にいるだけあって、資料にはないような情報を教えてくれ、適切なアドバイスをくださいました。合格できたのは、そんな先輩の方々のおかげでもあります。
 合格したのは「文III」なのですが、3年生からの志望は教育学部です。地域文化研究学科というところでウイーンを中心にしたヨーロッパ文化について、掘り下げて勉強してしてみたいと考えています。オペラのこととか、オーストリアの作曲家モーツアルトのこととか…。その後については、父親が公務員ということもあり、その方向かなとも思っています。国連関係の国家公務員とか…。ですが、職業後の展望については、東大での勉強・研究の日々の中で見つけだしていきたいと考えています。

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東京大学 理科II類 一般入試で合格
荒井くん
平成18年3月
特別進学コース卒

小牛田中出身
合格させるための
バックアップ態勢が万全、
それが他の公立校との違いです


毎日の基礎の積み重ねこそ
 合格への近道です


 仙台育英の特別進学コースは勉強が厳しいと聞いていたのですが、入ってみたら授業の難しさは予想以上でした。初めは教科書の内容さえろくに理解できず、自分で勉強しようにも「一体どこから手をつけたらいいんだろう?」。特に渡部進先生の数学と加藤欽子先生の英語の授業はレベルが高く、基礎を飛ばして最初から応用問題を解くため、予習なしでは絶対ついていけません。とにかく、毎日ひたすら授業の予習・復習をするしかありませんでした。家だと集中力が落ちるので、放課後は図書室に残って午後6時まで勉強、朝は早起きして午前8時に図書室へ入り、授業開始まで勉強。反復学習の成果が出るまで半年以上かかりましたが、今振り返ると、この苦しさを乗り切ったことで身についた実力が、難関突破につながったのだと思います。また、私が所属したクラスは3年間一緒だったので、全員仲が良くて雰囲気もなごやか。友だちづきあいがあまり上手じゃない私でも、勉強に集中できる環境で助かりました。

公立高との態勢の違いに
 初めて気づきました


 第一志望を東京大学に絞ったのは、2年の夏、箱根合宿に参加した時です。東大や京大に在籍する先輩方のお話で、私の心をつかんだのが東大の「進学振り分け」システムです。これは、入学者全員が教養学部で2年間の前期課程を履修してから進学する学部・学科を選択する仕組みで、各人が適性を把握するまで2年の猶予があるため、最適な進路を選べるメリットがあります。将来、薬学系に進むか工学系かで迷っている自分に合っていると思いました。また、箱根合宿でもうひとつ気づかされたことがあります。他県の公立校の生徒が漏らした不満――「うちの先生方は部活にも力を注いでいるから、大会が近いとなかなか質問できない」。耳を疑いました。特別進学コースの先生方は授業中でも放課後でも、私たちの質問にていねいに答えてくださるし、お願いすれば個別に勉強を見てくださいます。今までそれが当然と思っていたのですが、他校の話を聞いて初めて、先生方のバックアップ態勢が整っている仙台育英で学ぶ自分たちは何と恵まれているんだろう、とありがたく感じました。


特別進学コースで培った
 実力を信じました


 私は最後まで「特別進学コースの授業・講習・模試を受けてきたのだから大丈夫。自分には実力がある!」と信じていました。一度つまずいても、自分の実力を信じること。試験で良い判定が出たら、自信を持つ。自信が次の結果につながるのです。ただし、実力がついて授業の進度を追い越しても、授業をおろそかにしてはいけません。先生方は生徒一人一人をよく見ていて、自己学習では気づかない間違いを指摘してくださいます。授業で自分の短所をチェック、模試・期末の結果を期間ごとの目安に、全国での順位を視野に入れながら勉強するのがベストです。東大の試験傾向は非常に個性的なので、私は東大対象の模試をたくさん受け、結果を繰り返し復習しました。ガツガツと勉強ばかりしていたわけではありません。睡眠は6時間とり、片道50分の通学時間も眠ければ寝ていたし、試験が終われば友だちとゲームをしたり、ラーメンを食べに行ったり……。2年のクラス対抗合唱コンクールでパートリーダーを務め、1カ月以上練習を重ねた結果、優秀賞を勝ち取ったのも忘れられない思い出です。3年間を振り返ってみれば、楽しく充実した学生生活でした。後輩の皆さんも、自分の可能性に自信を持って大きな目標を狙ってください。
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東北大学 工学部化学バイオ学科 一般入試で合格
櫻田くん
平成18年3月
特別進学コース卒

古川北中出身
科目の枠を踏み越えた
英語の授業はとても
エキサイティングでした


クラスのみんながすごく
 “立派”に見えました


 中学校2年生の立志式の時に壇上で「将来は医者になります」と宣言しました。医者を目指すにはどうしたらいいのか。いろいろ調べて仙台育英に進むことにしました。当時の周囲の先生方から「仙台育英は頑張れば頑張っただけの成果が出せるところ」との話を聞いていたからです。
 入学して最初に感じたのは「クラスのみんながすごく立派に見えた」というのが正直なところ(笑)。やはり、将来への大きな夢を抱いていろいろなところから集まってきているんだなと実感しました。
 毎日の授業も、楽なものではありませんでした。予習を怠ったら授業の中身を理解することはできません。宿題と予習をこなすだけで精一杯。でも、「宿題と予習を粛々とこなしていく日々」を2年間続けた末に、自分でも納得できる成績を出せるようになりました。この2年間の基礎固めをもとに、3年生では過去問題集などをこなして大学受験に備えました。


医学部志望から
 バイオ関連の研究に…


 仙台育英に入学した頃は、まだ医学部志望でした。ですが、いろいろと調べるうちに考え方が少し変わってきました。人の命を救うという医学も重要だけれど、今の地球を考えると地域や世界の環境を良い方向に持っていくことにも大きな意義があるのではないかと思い始めたのです。そしてさらに詳しく調べていった末、地元、東北大学工学部に化学バイオ工学科というところがあることを知ったのです。この化学バイオ工学科というのは「生命にかかわるテクノロジー」を研究するところ。生命や環境というと、範囲が広くて抽象的なイメージがありますが、それだけに僕にとっては将来に大きな未知の可能性が秘められているように思えたのです。


哲学や医学・科学の専門分野に
 まで踏み込んでいく授業


 現役で第一志望大学に合格できたというのは、とても幸せでした。すべては特進の先生方のおかげだと思っています。たとえば、英語の加藤欽子先生。僕は英語が好きで英語を中心に毎日の家での勉強のプランを組み立てていったのですが、加藤先生の授業は語学の読解や文法理解だけにとどまりません。取り上げられるテキストのテーマが哲学のことであったり、人生論であったり、あるいは医学であったり、またバイオ関係であったり。内容がとても興味深く、英語学習プラスアルファの何かが、そこに必ず秘められているのです。一例をあげれば、ホタルの“シンクロナイゼーション”についての文章。ホタルの発光は時間の経過に従って次第にシンクロしてくるというのですね。この英文を読み解きながら、そこに加藤先生独自の解釈が“シンクロ”してくる。とてもエキサイティングで魅力的な授業でした。僕が化学バイオ工学科受験に最終的に的をしぼったのは、加藤欽子先生の授業があったからかもしれません。

バンクーバー島の沖で
 シャチの群を見ました!


 特進での3年間は勉強だけに明け暮れていたわけではありません。2年生の時にはカナダへの語学研修にも参加しました。これも英語に関係するのですが、英語の授業を受けていると「なぜこんな表現をするのかな」とか「英語はなぜこんな語順なのかな」といった疑問をよく感じました。それが短い間ではありましたが英語圏で実際に生活(ホームステイ)してみて、「なるほど、こんな歴史、風土、生活習慣をもっているからこんな表現をするんだな」と少し分かったような気がしました。向こうの人達の行動、考え方が、そこに実際に身を置いてみることで体験できた、という感じです。それ以上に、大きなゴムボートで海にこぎ出して出合ったシャチの群! あのときの感動は忘れられません。いろんな意味で、とても充実した3年間でした。
 大学に進んでバイオの勉強をし、将来は研究職につくことができればというのが今の夢です。
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自治医科大学 医学部 一般入試で合格
太田くん
平成18年3月
特別進学コース卒

大河原中出身
現役合格のためには
1年生の時から受験に対して
高い意識を持つことが必要です


医学部への現役合格に
 こだわりました


 仙台育英への進学は、インターネットやクチコミで情報を集め、地元の公立校と比べて授業内容が充実していること、学校を挙げて受験に対する意識が高いことを知って決めました。医学部を志望した理由をひとつに絞るのは難しいですが、人命を救うという面以外にも、治療方針を決め、薬の投与や手術など常に高度な知識と能力を問われる点に憧れます。
  どうしても医師になりたくて、「医学部に現役で合格できるなら、大学はどこでもかまわない。もし成績が届かなければ、受験校のランクを下げればいい」と安易に考えていた私に、大きな刺激を与えたのが箱根セミナーです。参加した他の医学部志望者たちが、自分の目標や入りたい大学への情熱をとても真剣に語るので、「なぜ、そんなに熱くなってるんだろう?」と不思議でしたが、あとから、全国模試1位の人など最高に優秀なメンバーだとわかって……。彼らに比べ、自分の意識の低さを反省しました。箱根セミナーでは、東大医学部の現役の先輩から「これからの医者はコミュニケーション能力が大切なので、医学部を目指すならいろいろな人と話をしなさい」とアドバイスをいただき、さらに気持ちが引き締まりました。


仙台育英はスタートから
 他校と差がつきます


 特別進学コースの長所は、授業で勉強せざるを得ない状況に持っていかれること。中学までののんびりした勉強法が強制的に改善されるので、スタートから他校と差がつきます。特に、数学の渡部進先生と英語の加藤欽子先生の授業はカリスマ性と威圧感があり、ついていくだけで実力はかなりのレベルに達するでしょう。そのかわり、一日でも学校を休むと遅れを取り戻すのに大きなロスが出る上、テンションも下がってしまいます。継続こそ実力になると肝に銘じて、調子の悪い時でも毎日の学習を怠らない意欲が必要です。大学受験では、限られた時間の中でどれだけ前に進めるかが勝負なので、1年生から受験に高い意識を持って臨める仙台育英は、難関を目指す受験生にとって理想的な環境です。


自分なりに戦略を立て
 全力を尽くしました


 私の学習方針は「あらゆる無駄を省く」。たとえば、きれいにノートを作っている人を見ると、無駄だなあと感じてしまいます。先生が黒板に書かれたことを機械的に写すのも、意味がない。丸写しする暇があるなら、黒板を見て大事なポイントを覚えたほうがずっといい。私は効率を最優先に考え、早めに志望大学を決めて科目を絞りこみ、無駄のない勉強に努めました。同時に、大学の情報を集めて傾向を調べ、過去問を解き模試を受けるなど、具体的な戦略を立てて取り組みました。でも、本番の自治医大の面接で「好きな思想家をひとり挙げてください」という予想外の質問に慌て、頭に浮かんだまま「カント」と答えてしまい、説明を求められて絶句。大失敗です(笑)。これはダメかな、とその後開き直ったのが、結果的に良かったのかもしれません。
 今は、長年の夢を叶えた満足感でいっぱいです。TVで放映される「全国の名医」のように華やかな外科医に憧れる気持ちもありますが、目立たないところで地道に努力するほうが私の性格には向いているようです。自治医大は地域医療に長期間従事することが義務づけられているので、一人前の医師になって地域社会へ貢献できるよう、これからも勉強していきたいと思います。
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*外国語コース
国際教養大学 国際教養学部 一般入試で合格
高橋さん
平成18年3月
外国語コース卒

大河原中出身
海外留学を体験!
サッカー、 ラグビーの
応援にも行きました!!


日本に帰ったら英語の
 上達ぶりに気づくはずだよ…


 高校生の時に海外留学を経験してみたかったこと、それと茶道、華道の授業に魅力を感じたこと…これが外国語コースを選んだ理由です。
 2年生の時、10カ月プログラムでカナダの姉妹校に留学しました。10カ月間のすべてが貴重な体験の連続でした。留学先の姉妹校にはさまざまな国からの留学生が集まっていました。中国人、韓国人、そして中近東の生徒たち…特にイランからの人たちがたくさんいて、彼らの行動や言葉にはとても強い印象を受けました。イランの男の子たちは“男らしさ”をとても大切にして、すごく強い主義主張を持って生きている。一方、女の子たちは、どこか控え目で「男性についていく」という姿勢。日本の女の子の方が自由でいいなと感じました。
 10カ月間の会話を中心とした英語の勉強については私自身“全然上達していないんじゃないか”と悩んでいたのですが、ステイ先のホストファザーが、こう言ってくれました。「日本に帰ったら絶対に上達していることに気づくはずだよ」と…。


留学で身につけた英語力を
 大学で磨き上げてみたい


 日本に帰ったら、まさにホストファザーの言ったとおり。格段に英語力がアップしている自分を発見しました。
 ホストファザーは、私にこうもアドバイスしてくれました。「一番大事なのは、日本に帰ってもカナダで身につけた英語の力を衰えさせないようにすることだよ」と。帰国後、将来のことを考えるにあたって、大学の受験先として迷わず国際教養大学を選んだのは、このホストファザーの言葉があったからかもしれません。
 国際教養大学での講義・授業は4年間すべて英語でおこなわれます。それと3年生の時には1年間の海外留学も義務づけられています。カナダへの留学で身につけた英語力をとことん磨き上げていくには最高の大学だと思いました。
 それですぐにAO入試に向けての準備に取り組んだのですが、AO入試には残念ながら失敗。だけど、諦めきれずに一般試験にも挑戦することにし、結果、合格へとたどり着くことができました。

受験勉強も良い思い出、
 楽しいことばかりの3年間でした


 一般入試での合格への道は、楽ではありませんでした。AO入試不合格の通知を受け取ったのが11月末。それからは“猛勉強”の毎日でした。
 留学から帰ってからは通学時間がもったいなくて学園の寮(IKUEI 90)に入っていたのですが、センター試験前の1カ月は“寝ているとき以外は勉強”という状態。とにかく勉強しまくりました。
 放課後には各教科の先生による講習がありましたが、これには本当に助けられました。たとえば英語では先生が私のために、“国際教養大学対策”として英字新聞から記事を選んで解説してくれる講習もしてくださいました。
 合格にたどり着くまでの数カ月間は正直、かなりハードでした。ですが、それも今では忘れられない大切な思い出です。
 楽しいこともたくさんありました。1年生の時の東京でのサッカー全国大会応援。大阪(花園)へ出かけて行ってのラグビー応援。そして茶道部での稽古の日々…。本当に楽しくて、充実した外国語コースでの3年間でした。
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*英進進学コース
岩手大学 農学部農業生命科学科 一般入試で合格
小幡さん
平成18年3月
英進進学コース卒

利府中出身
宮沢賢治が学んだ
学校で、農業技術の
研究者を目指します!


やる気が膨らんだ
 東京での宿泊合宿


 国立大学を目指そうという人たちが多い特別選抜クラスで勉強していましたが、3年生の秋以降になって推薦で合格大学が決まった人が増えてくると、ちょっと焦りを感じました。でも、明るくていい雰囲気のクラスで、今思うと、友達はけっこう私に気を遣ってくれていたみたいです。
 3年間で一番の思い出となったのは、1年生の時に行われた東京での宿泊学習です。女子5人、男子5人が選ばれて東京で勉強をしたり自主研修をしましたが、慶應義塾大学や中央大学で実際の大学生の生活を目にして、強い刺激を受けました。実は、憧れと同じくらい、受験に対する不安も感じましたが、その気持ちが「頑張らなくては」というやる気につながりました。


花いっぱいで育った環境で
  生命科学への関心が深まりました


 一緒に暮らしている祖父は花が大好きで、生まれた時から花いっぱいの庭で育ちました。時々水やりも手伝っているうち、私も植物への関心が深くなっていきました。農学部で生命科学を勉強したいと思うようになったのも、そうした影響が大きかったと思います。
 農学部といっても大学の選択肢はいろいろあったのですが、昔読んだ宮沢賢治の本が心に残っていました。賢治が卒業した学校は、岩手大学農学部の前身です。そこで学べると思うと、引かれるものがありました。


スポーツの学校行事は
 良い気分転換に


 勉強の中心は、学校の授業と放課後に残ってやった自主学習です。私は古典が苦手で全然だめだったのですが、担任が国語担当の先生だったので、分かるまで教えていただきました。気軽に質問しやすい雰囲気があり、友達もいろいろ聞きにいっていたようです。
 家では特に勉強時間を決めず、「問題集を何頁までやる」という目標を設定して進めました。精神的にきつかったのはセンター試験の直前と直後です。試験の2カ月前から、過去にやった問題集の確認作業に切り替えました。でも時間が足りなくて焦り始めると、頭に何も入らなくなるんです。そんなときはあきらめて寝るようにし、次の日に頑張りました。運動は苦手だったのですが、学校行事でクラスみんなとやったドッジボールなどは楽しかったし、いい気分転換になりました。
 一生懸命に努力した3年間でしたが、そんなに詰め込んだわけではなく、それなりに楽しい高校生活でした。将来は研究者になって、農業の技術に貢献したいと夢みています。
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