■教職員代表のことば(学校長)
 
5.22安全と安寧の誓い
 
 風薫る5月、皐月、新たな命の誕生は生けるもののすべてに慶びと希望を与え、その前途が明るく幸福で健康なることを神仏に祈り、わが身の後継者として憂いなき将来が保障されることを請願し、夢を託します。
 人は太古の時代から今日に至るまで「生命の尊厳(せいめいのそんげん)」と「いのちの儚さ(はかなさ)」を交互に感受しながら、「森羅万象」宇宙に存在するすべてのものが「諸行無常」、すなわち、すべてのものは常に変転し、少しの間も同じ姿・形を保ち得ないことを受容してきました。
 一方では、人はその潜在意識において絶対の安定を望み、不変の理の確かなることを願い、環境変化に対する抵抗という行為を繰り返してきました。それは、「悟性」すなわち物事を論理的に判断し、考える能力と相反する「感性」すなわち対象からの刺激を感じ取る直感的な能力との葛藤のなかで生じた産物なのです。
 自然な心理のなかで、齋藤 大君、細井 恵さん、三澤 明音さんたち3人の命が現実の世界から離脱し、こころのなかにだけ存在するようになってしまった空しさと悔しさという感情を持ちつつ、このような葛藤と抵抗は続いています。加えて、どのように考えても答えが出てこない自問自答の日々を過ごしてきたことの無能・無力さを痛感します。
 あの日から時の刻みが途絶えてしまった感覚のなかで、1年という単位の針がとても重たく感じるのは何故なのでしょうか。それは絶対の安定と不変が存在すると考える自己の傲慢な思い込みが招来させた結果なのでしょうか。
 この1年の間、在校生、保護者、元保護者、同窓生はじめ行政当局、あるいはお顔も存じない全国のみなさまに励まされ、支えられ、今日を迎えました。言葉では到底表すことができないほど感謝の気持ちで一杯です。
 その気持ちのすべてを亡くなった生徒のご遺族、怪我やこころに大きな衝撃を持ちつつまだ癒えぬ生徒たち、後遺症を憂う保護者のみなさまに注いできたつもりです。そして、いつまでも潤うことないこころに寄り添っていきたいのです。
 実社会に目を転ずると、いまでも「飲酒して運転する」社会的犯罪が後を絶ちません。飲酒と運転はそもそも別のものだと思います。「お酒はこころの薬」、「お酒は社会の潤滑油」という言葉があるとおり「悪」ではありません。しかし、「お酒を飲んで、運転する行為が直ちに犯罪である」という概念が社会の常識となっていないために、法的な規制が必要となってきます。そうでなければ、悲劇と憎悪が反復する迷路のなかで我々はいつまでも生き続けなければならなくなります。

 少しでも危険がない安全な社会と平和で人々が穏やかに生活することができる安寧な環境を希求することは我々の権利であり、そのための努力は社会の構成者としての義務だと感じます。
 今日の「安全と安寧のつどい」は我々人間の権利と義務を明らかにし、3人の命がそのことを我々に語ってくれている尊い機会だと考えています。この「つどい」を企画された仙台育英学園生徒会のみなさんの勇気と実行力に敬意を表し、「いのちの大切さ」を共に感じてくださった参加者すべてに感謝いたします。
 むすびに、仙台育英学園教職員を代表して昨年綴ったメモリアル・ポエムを改めて朗読します。どうか心静かにお聞きください。


たくさんの恵を与えてくれたので
いつまでも感謝しよう
明るい微笑みは美しく素敵なので
いつまでも覚えていよう
強い志はわたしたちの希望なので
いつまでも尊敬しよう

君の旅だち 
それはあまりにも悲しすぎる
それは君の笑顔をみることができないから
それは君の弾くピアノの音を聴けないから
それは君の大きな夢を語りあえないから

青空にぽっかり浮かぶ雲
それは君からの笑ってねというメッセージ
太陽のひかり輝く光線
それは君からのがんばってねというメール
大地に咲く可愛らしい花
それは君からのやさしくねという絵葉書

細井 恵さん 三澤 明音さん 齋藤 大君
安らかに
 
 
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