5.22宣言(生徒代表)
 
 昨年のこの日、ウォークラリーが実施され、最高の思い出となるべき、青春の一ページに、汚点が残されました。

 哀切で、無念きわまりなく、快活になれない日は、今もあります。

 しかし、いたずらに、悲嘆のふち渕に沈んでいることは、夢を抱き、健気に、明るく生きていた、亡き友たちの、望むところではないのだと思います。

 今後は、あの事故を乗り越え、学年全体では、「痛みの共有」や「人生のきずな絆」の確立につとめ、個別的には各人が「夢の実現」に向けて、ひたすら努力することを宣言したいと思います。
 
平成18年5月22日
特別進学コース2年 正木
 
 私たちは、1年前のこの日、大切な仲間たちが目の前で命を奪われるという大きな事故に巻き込まれました。私はその時ウォークラリーを楽しみ、横断歩道を渡るところでした。しかしその楽しみは一瞬にして怒りと悲痛に包まれ、生涯忘れることのできない大惨事と化してしまいました。
 それ以来、交通事故に対して一層敏感になり、気をつけるようになりました。また、思い出しては悔しく、やりきれない気持ちに襲われてしまいますが、それだけに、交通事故を少しでもなくすために私たちができることは何かと考えるようになりました。そのひとつが署名活動です。この活動を通して、事故の悲惨さを人々に訴え続けたいと思います。必ずや人々の心に私たちの仲間の無念さが伝わり、ひとりひとりが交通事故の防止を自分の問題として考えてくれるようになってくれるものと信じています。
 私たちは、これから、事故で亡くなった3人の分まで将来への希望をふくらませ、目標をもって学園生活を送り、将来しっかりと社会を支えていきたいと思います 。
 
平成18年5月22日
外国語コース2年 加藤木
 
 あの日から、早くも1年になる。 入学したばかりの私たちは、ウォークラリーを通し、絆を深め、たくさんの思い出を作るはずだった。 それは、一瞬にして崩れ去った。 安全を示すはずの青信号は、ただの光にしかならなかった。
 今までにない光景 何が起こったかわからなかった。私の名前を呼ぶみんなの声が聞こえた。薄れ行く意識の中で、私を呼んでいるみんなの声は、だんだん遠のいていった。
 気づいたら病室だった。辛い闘病生活が始まった。顔じゅうに貼られたテープ、吊るされた脚、チューブの刺さった肺。傷の治療は悲鳴をあげるほど辛かったが、それ以上に、友達を失ったことが悲しくて何度も死んでしまいたいと思った。
 でも、どんなに悲しくとも私は生きていかなければいけない。亡くなった3人の分まで。
 入院してみて、これまで、何気なく過ごしていた毎日が、とても幸せだったことに気がついた。食事が出来ること 歩けること 家族がいること 友達がいること そして何よりも命があるということ。
 毎日たくさんの人が私を見舞ってくれた。自分のことを想ってくれる人がこんなに居るのかと驚いたが、この事故はそれだけ多くの人々に衝撃を与えたのだ。
 酒を飲み「自分は大丈夫」「少し位は大丈夫」と思うことが、大きな危険につながることに気づいてほしい。
 友を奪われ、心と身体に傷を残すのは、私たちで最後にしてほしい。 私たちは、2005年5.22を忘れてはいけない。そして亡くなった3人の友のことをも、決して忘れてはいけない。
 
平成18年5月22日
外国語コース2年 阿邊
 
私は、飲酒運転撲滅運動に全力を注ぐことを宣言します。
去年の5月22日のウォークラリーの最中に飲酒運転をして暴走を繰り返していた車に友達を奪われました。
この事故でたくさんの人が怪我をし精神的に傷つけられました。
私自身も怪我をし、楽しみにしていた貴重な高校生活を奪われました。今現在でも怪我は完全には治ってなく、周囲の人たちにとても迷惑をかけてしまっています。
友達を目の前で亡くし、何も出来ない自分にとても憤りを感じています。せめてと思い、私は今日ここで飲酒運転撲滅運動に全力を注ぐことを宣言しました。
一番は亡くなってしまった友達の為ですが、これから先この様な事故が無くなり一人も犠牲者を出さない為です。
二度とこの様な事故がないように…。
 
平成18年5月22日
英進進学コース2年 川村
 
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