日時: 平成17年12月12日午前10時から11時半
場所: 仙台地方裁判所第102法廷
裁判官: 裁判長1名 裁判官2名
 

裁判官:では開廷します。

検察官:
(1) これまでの公判を通して、本件の公訴事実は十分に証明されたと考える。被告人は、居眠りして事故を起したことは間違いないが、アルコールによる影響はなく、また、そのような認識はないとして危険運転に関しては否認しているが、具体的な証明がなく、無責任な責任逃れの弁解である。

【1】 運転時のアルコール量
被告人は5月21日午後9時から5月22日午前3時30分まで、ビールを250ml、焼酎水割りを約10杯飲み、事故発生後44分後にアルコール検知では血液中のアルコール量が0.3mg/リットルという結果が示すように、体内から多量のアルコールが検出されている。

【2】 アルコールの影響
被告は正常な運転が困難な状況で車を運行し、危険運転の状況がアルコールの影響であると言うことは、目撃者の証言や捜査段階での被告の自白によって明白である。被告は平成17年5月22日午前3時47分頃、仙台市国分町千松島パーキングからニッサン・サファリを運転しはじめた。被告は当日の飲酒量がもう少しで自分自身の限界に近いと認識しており、平成9年、飲酒をして居眠りをし、反対車線に飛び出して対向車と正面衝突した事故を思い出したが、代行で帰るための所持金がなく、本町1丁目で、酒を飲みすぎた為に目をつむれば眠ってしまいそうと自覚するなど、危険を認識しながらも運転を行ったのである。そして、45号線小田原付近では急減速・急加速を繰り返し、小田原二丁目の赤信号で停車し、両手を頭の後ろに組み、首をシートに持たれ掛け、信号が青になってもしばらくの間、停車したままであった。あわてて車を発進し、少し酔ったかなと思ったが、このままいけるところまで少しでもいこうと危険運転を継続した。その後もウインカーも出さずに車線を変更し、別の車線に割り込んだり戻ったりを2〜3回繰り返し、苦竹付近では、全身が吸い込まれるような感じがし、周囲の景色がぼやけて見え、強い眠気を感じ意識も朦朧としていたが、そのまま運転を続けた。その後、赤信号を数回にわたり看過したり、青信号での発進が遅れたりという運転を続けながら、事故現場200m手前の交差点で仮睡状態に陥り、午前4時15分頃、仮睡状態のまま信号機が赤の多賀城市八幡一丁目交差点に時速60キロで侵入。横断歩道が青で歩行者の横断待ちをしていたTの車の左前部にサファリを衝突させ、左前方の歩道に激突させた。さらに青信号で横断中の、斉藤大、細井恵、三澤明音を死亡させ、他15名に骨盤骨折等の重軽傷を負わせたものである。被告がアルコールの影響で意識がない仮睡状態に陥り、前方が見えないまま事故を起したことは多数の目撃情報により客観的に証明されたのは歴然としており、被告の供述はただの責任逃れに過ぎない 。


(2)被告の事故捜査段階での自白と目撃者の証言によって本件事故の原因が多量のアルコールの摂取にあり、その他の健康状態や睡眠時間等によるものではないことは合理的にも明らかである。自分は水割り10杯では酔わない、或いは、自分は赤信号を無視していない等、被告は公判で証言しているが、捜査段階での検察の取調べに対しては、限界は10杯と供述している等、被告の弁解は全て破綻している。

(3)被告はアルコールの影響で運転が困難であると明らかに認識していた。小田原の交差点では前方が見えない状態であり、苦竹の交差点ではアルコールの影響で、第1車線と第2車線を跨ぎながら運転していた。事故現場までの200mは仮睡状態に陥り、その結果、本件犯行に及んだ。

(4)情状に関し、被告の犯行は身勝手極まりなく、事故後も反省した様子は余り見受けられない。被告は平成9年、飲酒運転により対向車に正面衝突するという居眠り事故を起しているにも関わらず、その後も常習的に飲酒運転を繰り返していた。本件事故も飲酒するのが明らかであるにも関わらず車で居酒屋に行き、更にスナックへ移動し、ビール1杯と焼酎水割り10杯を飲酒した後に、あえて運転して帰ろうとした。被告の飲酒運転は常習的であり、自己抑制力が全くない身勝手な行動であり、情状酌量の余地は皆無である。犯行態度は無謀、残忍であり、事故後44分後の、アルコール検知でも呼気に0.3m/リットルという多量のアルコールが検出された。走行中は瞼も重く、赤信号を無視したり、青信号で発進しなかったりと、他の車への迷惑も考えずに無謀な運転を繰り返し、それでもなお、60キロで走行し続け、仮睡状態に陥り、一時停止の車に気づかず衝突した。更に衝突後、60メートル先で縁石に乗り上げてやっと衝突に気づくという危険極まりない、走る凶器と言えるような走行をした。多数の死傷者を出した本件は、いかに衝撃の激しい事故であったか、この行為は無差別殺人に匹敵するものである。その悪質性は類いまれであり、被害者には何の落ち度も過失もないのである。

検察官:遺族には被告への辛辣な処罰感情があります。
    以下かいつまんで遺族の気持ちを述べます。

1、 齋藤さん
大君は、年間100冊もの読書をするような子供で、父親と釣りに行っても本を手放さず、時として父親が嘆いたほどであった。将来は天文学者か地質学者になる夢を持っていた。事故後、母親は毎日、お墓に向かってどうしてこんなことになってしまったのかと手を合わせている。被告に大の遺体を見せたかった。見た目には何ともないが、火葬場でお骨になったとき、骨盤や大腿骨が複雑骨折し、ばらばらになっていた残酷さを十分に考え、罪を償ってほしい。自分がどんな運転をしたのかその残酷さをわからせたい。被告には一生涯にわたり罪を償って貰いたい。そのためにも民事訴訟を起すつもりである。しかしながら、大はもう帰ってこない。以上のような強い処罰感情があります。

2、 細井さん(母)
恵さんは両親がようやく授かった女の子であり、水泳、ピアノ、書道と何事にも打ちこむ子供だった。中学時代はテニス部に所属して、合唱コンクールではピアノを弾き、クラスのリーダー的な存在であった。また、ハンデのある子に対しては優しく接していた。将来は人の役に立つ仕事に就きたいという希望を持っていた。母親は毎晩恵のことを思っている。被告の運転する車にどうやってはねられたのか考えるととても辛い。今後は民事裁判を起こし、被告に償いの人生を歩ませ、今回の事故の残酷さを認識してほしい。量刑は最高刑に処してほしい。3人の命を奪ったのだから、60年の刑にしてほしいくらいの気持ちである。このような辛辣な処罰感情があります。

3、 細井さん(父)
危険な運転により3人の命を奪い、多数の子供たちに傷を負わせ、最高の刑を望んでいるが、被告には自分から進んで重い罪を選んでほしい。

4、 三澤さん(父)
子供のころからピアノや水泳を習い、小学校では表彰されるほどであった。受験が終わり、一旦中断していたピアノを再開しようとしていた矢先の事故であった。生徒会やクラスのまとめ役で、将来は保育士や看護士になることを希望していた。

5、 三澤さん(母) 毎日お墓に行っている。被告の弁解を聞いていて、明音がこんな目に合わされて悔しい。被告には一生かけて贖罪の人生を送らせたい。

検察官:その他、一命をとりとめても皮膚の移植手術を繰り返したり、登校もままなら
    なかったり、PTSDに苦しみカウンセリングを必要としている生徒も多数います。
    各人に与えた衝撃は察するに余りあります。授業についていけず、
    不安を感じている等、15歳の多感な時期のこのような経験が将来に与える影響は
    多大といえます。以下かいつまんで述べます。

1、 Tさん
足の傷が治るにはまだ時間がかかりそうで、きれいに治るか心配している。成績もとても下がってしまい悔しい。被告への気持ちはまだ整理がつかず、怒りをあらわにしている。

2、 Aさん
怪我の痛みがまだあり、消毒の際のあまりの痛さに鎮痛剤を打っている。その度に泣き、死にたいと思ったこともある。ケロイドがきれいに治るのか不安であり、歩くのも困難な状態である。

3、 Yさん
亡くなった友人とは事故の数分前まで話をしていた。明音ちゃんのお母さんの泣き叫ぶ声が今でも聞こえる。未だに心の傷が癒えない状態である。被告に対しては悔しい気持ちでいっぱいである。亡くなった友達のご遺族や私の家族も癒されないままである。以上のような辛辣な処罰感情が述べられています。

4、 YMさん(母)
事故後、娘は夜眠れない状態が続き、自分も仕事を退職せざるを得なくなった。突然体がガタガタ震え、薬を飲んで生活している。あの日被告が代行で帰っていてくれていたらこんな辛い思いをしなくてすんだと思うと、死刑とは言わないが、最高刑を望む。被告に対しては子供たちの無念さを忘れないでほしい。

5、 KFさん(父)
事故から4ヵ月後、Kは元に戻りつつあったが、横浜の高校での事故のニュースを聞き、ショックを受け、それから学校へ行こうとすると気分が悪くなってしまい、今は登校できない状態にある。この事故の後、まさかあのような事故が起きるとは信じがたかった。以前の幸せな生活を返してほしい。被告は同じ過ちを何度も繰り返している。以上のような辛辣な処罰感情があります。

検察官:被告は反省の情なく、口では詫びているが、具体的なことは何も言っていない。
    犯行時にはアルコールの影響により、正常な運転が出来ない状況にあることを
    認識していながら、それ程酔っていなかったなどと平然と述べている。
    車を所有してから3ヵ月も経っていながら任意保険にも加入せず、
    遺族や被害者は経済的に十分な補償も期待できない状態である。
    平成9年、飲酒運転で検挙され、30日の免許停止処分を受けたにもかかわらず、
    その後も常習的に飲酒運転を続け、交通法規の遵法精神が欠如していると
    言わざるを得ない。家族には、被告を監督する事が期待できず、長期にわたる
    徹底的な矯正教育が必要と言わざるを得ない。本件事故は、社会的にも多くの
    人々の注目を集め、マスコミ等でも全国的に報道された事件である。
    今後のためにも、被告に対し重大な刑事責任を問い、厳重な処罰を与えるべきである。
    被告には若い3名の尊い命を奪い、18名の被害者の人生を根底から狂わせた重大な
    責任があり、情状酌量の余地は全く無い。以上の事から、危険運転致死傷罪を適用し、
    上限をもって懲役20年を求刑するものである。

弁護人:本件において、3名が亡くなり、15名に重軽傷を負わせたことは疑いのない
    事実である。これに関し争いはなく、被告人自身、いかようにお詫びしても
    許されることではなく、懺悔の毎日を過ごしている。しかしながら、重大な結果
    を招いた悲惨な行為ばかりが強調され、それだけで刑事責任は辛辣なものとすべしと
    いうのはいかようなものかと考える。国家が、その権力を行使し刑罰を与える
    刑事裁判においては、犯罪の事実とその類型を明確にし、極めて慎重に審理される
    べきである。結果の重大性を鑑み、被害者をないがしろにする事は許されない事では
    あるが、危険運転については慎重に判断されるべきである。
    それこそが、強制力を行使する場合に近代国家が問われる正当性の問題なのである。
    本件では、被告人がアルコールを飲酒したことにより、正常な運転が困難な状態に
    陥ってしまったのかどうか、また、故意に危険な運転をしてしまったのかどうか、
    被告人の認識と認容こそが明らかにされなくてはならないのである。

【1】飲酒量
本件の前日の平成17年5月21日から22日にかけて、被害者は、3件の店に立ち寄った。午後9時、最初に立ち寄った居酒屋Gでは、検察は当初ビール中ジョッキ一杯500mlと陳述していたが、経営者が実際に計測したところ、250mlであったとして修正されている。2件目のパブSでは、検察は冒頭陳述で焼酎ウーロン茶割りを飲んだと言っているが、実際はウーロン茶を飲み、アルコールは飲んでいないと客観的に証明されている。Rカフェでは20度の焼酎をロック、水割りを合わせて10杯程度飲んだとされているが、どの程度かは、具体的にははっきりしていない。Rカフェでの飲酒量は、証人のHさんの証言では、キープしていたボトルを飲み干し、新しいボトルを1本入れ、3人で帰るまでにHさん、S、被告で610mlを4:3:3〜2の割合で飲んだとされている。被告は3〜2の割合であり、610mlの3分の1弱である200ml程度飲酒したことになるが、これは、別の言い方をすると1合強にあたる。まとめると、事件前日午後9から10時までに、ビール中ジョッキ一杯250mlを飲み、その後2時間はアルコールを飲まず、午前0時から3時30分の3時間半かけて、焼酎1合強飲んだと言うことである。事故直後、アルコール検知では、呼気1リットル中で0.3mgの濃度が検出された。大々的にマスコミで報道されていた中で、7時間の間に3件はしごし泥酔したとあるが、勿論、飲酒したかぎりにおいては、いかなる場合にも運転してはいけないのであり弁解の余地はないが、飲酒運転は、現在は0.15mgになっているが、以前は0.25mgであったため、これ以下であれば飲酒運転にはならなかったのも事実なのである。被告は、泥酔状態ではなく、それほど酔ってないと認識していた。被告は、Rカフェから出る時には足がふらつく、または、ろれつが回らないなどの問題はなかったのである。

【2】運転
被告の運転に関しても、運転を開始した午前3時47分から、事故現場に午前4時15分頃に辿り着くまでの12.5「を運行してきたという事実は検討すべきポイントであると考える。先ず、Rカフェを出てから45号線に入るまでの左折2回、右折1回には何ら問題はなかった。安田病院前では、赤信号で一旦停まり青になっても直ぐには発進しなかったが、一瞬だけ居眠りをしていたと述べられているが、被告の車両はオートマ車であり、シフトレバーをドライブに入れたままでフットブレーキを踏んでおり、普通の運転と同様の操作を行なっていたのである。ブレーキを踏んでいたという事実を認識すべきである。また、信号が青になっても気がつかず、後ろの車にクラクションを鳴らされることはよくあることである。目撃者の証言では、居眠りしていたとは言っておらず、青になって具体的にどれくらい発進しなかったのかも明白ではない。被告は、ぼんやりしていたのは間違いないが、運転中にぼんやりすることはあってはならないが、このまま運転しても重大な事故に繋がるとは即座には言えないし、重大な危険とは言えない。Aさんは、証言で被告の車のスピードが遅くなったり速くなったりしていたと言っていたが、それが危険運転に繋がるとは言えない。信号位置さえあいまいなAさんの証言は、二転三転していて信用性がない。被告は、苦竹付近では第2車線を走行しており、左に寄って第1車線のラインを超え、跨ぎながら走ったが、一瞬ボーっとしたが直ぐに気づき、ハンドルを取り直し正常に軌道修正している。本件現場付近手前200mから居眠り運転をし、本件事故を起してしまったが、赤信号を無視し、青信号でも発進しないを繰り返したというDさんの証言を被告人は否定しており、Yさんの証言にも疑問が残る。

弁護士:検察官は危険運転の起訴事実を構成するにあたり、Rカフェを出た直後ではなく、
    しばらく走行した後の安田病院前を基点として、運転を開始した時点では故意に
    危険な運転をしたとはみていない。このような構成は異例であり、おそらくは、
    被告のアルコール検知度の低さが一つの要因になっていると推測できる。
    つまり事実は、被告は飲酒運転が事実であったとしても、気をつけて運転すれば
    家に無事に帰れるレベルであり、飲酒により危険運転をしたことを認めうる
    十分な証拠はないのである。事故現場200m手前で居眠りしたのは、飲酒が
    主因ではなく、前日午前6時前から丸一日寝ていなかったのが原因であるといえる。
    被告が犯した事故は極めて重大であり、被告は何ら弁解することはできない。
    被告はどうやって贖罪すればいいか分からないでおり、十分に表現されていないが、
    日々留置所で、被告は一生かけてその答えを自分自身に問いかけ、責任を抱えて
    いかなければならない。被告にも幼い子供がおり、家族もいる。
    家庭の大切さは十分理解している。被害者に手紙を書いているがまだ届いていない
    ことも知っており、法廷で被告の流した涙は、後悔と自責の念で心からお詫びして
    いるものであり、決してうわべだけのものではない。被告人に代わって親が被害者や
    ご遺族にお詫びに回り、任意保険を適用すべく努力をしている。
    被告は日常的に飲酒運転を繰り返していたわけではなく、帰りは代行と考えていたが
    所持金が足りなかったため、今回はやむを得ず、飲酒運転してしまった。
    かつて、8年前の経験は、被告がお酒を飲み始めて、または運転免許を所得して
    間もない頃の話であり、そのことも事実の評価に加えて欲しい。

裁判官:被告は、何か述べたいことはありませんか。

被告人:本当にこのような事故を起し、申し訳ありませんでした。
    齋藤様、細井様、三澤様、には本当に申し訳ないと思っています。
    一生誠心誠意お詫びしていきたいと思います。

裁判官:次回、判決言い渡しは、1月23日(月)1:30〜、101号法廷で行ないます。

 
 
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