第6号 | |
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姿勢 学校法人 仙台育英学園 理事長 秀光中等教育学校 仙台育英学園高等学校 校長 加藤 雄彦 |
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宮城野校舎の欅の緑もその深さを増してくるこの季節に開催された理事会で、10期40年間理事長職を務められた加藤昭学園長が退任され、理事長職を兼務することとなりました。 これは、昭和59年(1984)5月、当時の慶應義塾の石川忠雄塾長が本学園の特別進学コース開設記念講演会で生徒たちに話された内容の一部です。当時、卒業生およそ800人のうち、50人程度の大学進学実績しかなかった本学園の状況を踏まえた石川先生らしい「激励の言葉」と考えられます。 本来、本学園の師(先生)とは創立者である加藤利吉先生に他なりません。私学人であることを是として、この学び舎で師の教えを慕って集うからこそ私学としての存在価値が高まるのです。世の中にある数ある私学のなかで、敢えて仙台育英学園を志した職員のみなさんとともに創立125周年に向けた新たな取り組みを始めたいと思います。 |
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そのため、「アイ・チャレンジ125」と呼ばれるロゴマークを用意しました。来る2030年に向けた「アイ・チャレンジ125」は本学園にとっても、私学人である我々ひとりひとりにも、そして共に学ぶ若き精粋にも当てはまる挑戦です。 創立100周年を記念して設定された「建学の精神」という学校設定教科はこの挑戦を支える強い味方になってくれます。なぜならば、不変の教えを伝え、導いていく姿勢がなくては新しい産物も生まれてこないと考えるからです。 一方、「育英塾」から始まった小さな私塾が「仙台育英学校」を経て、「財団法人東北育英義会」と命名した組織の法人化を図り、「私立仙台育英中学校」を設立したのが大正11年(1922)のことです。さらに、太平洋戦争の末期には本学園発祥の地とする外記丁校舎を空襲により焼失する一大事もありました。にもかかわらず、昭和二六年には「学校法人仙台育英学園」設立の認可を宮城県知事から受け、学園復興の礎を築きました。これこそまさに創設期の苦労から戦後の苦難を乗り越え、利吉先生が不撓不屈のライオン精神を発揮された証なのです。 今日ある「仙台育英学園高等学校」ならびに「秀光中等教育学校」は創立者の強靭な意志と類い稀な行動力、そして強運がなければ存在していないと確信します。 同時に、どのような時代にあっても、社会の求めに応じて学校の形態を変え、教育内容を精査し、次世代に必要な先導的な教育を実践してきたからこそ、学園の今日があるのではないでしょうか。 利吉先生が好まれた論語(為政)には、「子曰く、故きを温ねて、新しきを知らば、以て師と為すべし」とあります。 この「温故知新」を学園運営の座右の銘とし、創立者の建学精神「至誠」を最上位に位置づけ、「アイ・チャレンジ125」が有意義な計画と実践に裏付けられた内容になるように策定して参ります。 |
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