育英通信97号
 

2007年度 大学入試 推薦入試合格者からのメッセージ

 
特別進学コース
互いに実力を
伸ばしていける
最高の学習環境でした


早稲田大学 政治経済学部

に公募制推薦で合格


特別進学コース 3年 大内 くん
河南東中出身


「自分よりも上の人がこんなにいる」
ことを知って…


 仙台育英に入学したのは、今までと違う環境の中でいろいろな人たちと関わり合いながら勉強したいと思ったからです。実際、特別進学コースに入ってみると、成績の良い人たちが集まってきていて、初めのうちは気がくじけそうになったこともありました。1年生の最初の試験の結果を見て、「自分よりも上位の人がこんなにがいるんだ」と思い知ったのです。そこで、あきらめたらいけない、頑張ろうと奮起。それから毎日、次のテストに向けて勉強に取り組みました。それを続けていくうちに、学内の順位がぐんぐん上がってきたのです。より上のレベルの大学に行きたいという目標があったから、頑張ることができたのだと思います。特別進学コースは、さまざまな人たちの中でもまれていき、自分の実力を伸ばしていける最高の環境でした。

研修合宿『プラン2000』で
勉強のリズムをつかむ


 1年生のうちは予習・復習が大事だと先生から言われていました。特別進学コースの授業はハイレベルなので、予習は欠かせません。そして復習もしっかりやっていった結果、着実に実力がついたと思います。塾や予備校には通っていません。仙台育英は塾に通わなくても、授業で十分だという話を聞いていたので、特に不安はありませんでしたし、実際にそのとおりでした。  1年生のとき、『プラン2000』という研修合宿がありました。最初の慣れない時期だったので勉強のリズムをつかむことを考えて取り組みました。はじめは夜遅くまで勉強しているので普段の授業でちょっと眠くなったりしたことも…。そこで負けてはいけないので、調整しながら勉強する、ということも学ぶことができたと思います。『プラン2000』にはチューターの先輩も教えに来てくださいます。大学生活や受験についての生の情報が聞ける貴重な機会でもありました。


担任の先生の面接指導は
中身の濃いものでした


 最初のうちは自分のやり方ですすめてもうまくいかないと考え、先生方の指導に従いました。仙台育英は大学進学において実績のある高校だったから、先生方を信頼することができたのだと思います。担任の渡部進先生には、担当教科の数学以外でも、受験への対策をするうえでお世話になりました。特に「社会問題についてどのように自分の考えをまとめるか」ということを面接の練習のときに教えていただいたのが、役立ちました。中身の濃い面接の練習でした。先生は、志望理由と大学でやりたいことがどう結びついていくのかを考えなければならないことと、私の知識が足りないということを指摘してくださいました。本をできるだけたくさん読むようにしたのは先生のアドバイスがあったからです。渡部先生や特進の先生すべての方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
 
   

 
 
外国語コース
海外留学での体験で
日本語教師をめざす
ようになりました


宇都宮大学 国際学部 国際文化学科

に公募制推薦で合格


外国語コース 3年 佐山 さん
村田第一中出身


テキサスからニューヨークまで
ホストマザーと1カ月の旅をして…


 高校2年生のとき、アメリカのテキサスに約1年間の海外留学をしました。テキサスでのホストファミリーはホストマザーただ一人。そのホストマザーは、とても教養のある素敵な方でした。二人で語り合いながら、彼女からさまざまなことを学びました。特に思い出に残っているのは、最後の1カ月間、テキサスからニューヨークまでの道のりを、ホストマザーと二人で、キャンピングカーで旅をしたことでした。

「言葉」のバックグラウンドとなる
歴史や文化を勉強したい


 テキサスで生活してみて感じたことは、日本の文化を間違って認識している人がまだまだ多いということ。そういう人たちに日本のことを説明しているうちに、日本という国独自の良さに気づきました。それと同時に、自分自身も日本語を正しく使えていないのではないか、それならもっとしっかりと勉強したい、という気持ちが芽生えてきたのです。
 その経験から、「日本語教師」という職業に興味を持ちました。資格を取得するだけなら、専門学校でも十分です。けれども、私は言葉そのものだけでなく、そのバックグラウンドとなる歴史や文化も勉強したいと思いました。そこで目指そうと思ったのが、宇都宮大学国際学部国際文化学科でした。


必修科目で受けていた中国語が
思いがけなく役立ちました


 宇都宮大学の推薦試験は討論でした。試験対策として担任の先生に薦められたたくさんの本を読み、放課後は先生方につきあっていただいて討論の練習をしました。
 試験本番のテーマは「アジアがヨーロッパに追いつくためにはどんなことをすればよいか」について。私は、1年生のときに必修科目として中国語の授業を受けたり、中国人の先生や留学生と話したりしていたので、自分の体験から話をしました。外国語コースで普通に受けていた中国語の授業での経験が思いがけず役立ちました。

海外留学で得たものを
さらに磨いていきたい


 宇都宮大学は入学してからも授業でも討論が多いと聞いています。私はアメリカのテキサスで、英語が話せないから発言ができない、ではなくて、話せなくても身振り手振りでも意思を伝えようとする姿勢が大事だということを身を持って知りました。海外留学を通して学んだ“自分の意見を進んで主張する姿勢”は今後、大学でも役立ちそうです。
 
   

 
 
英進進学コース
基礎学力定着を重視する
英進進学ならではの
授業が役立ちました


宮城大学 事業構想学部 デザイン情報学科

に公募制推薦で合格


英進進学コース 3年 松浦 くん
名取第一中出身


中学生のときに出合った
“ユニバーサルデザイン”


 建築に興味を持つようになったのは、中学生の頃でした。知り合いが自宅の段差で転んで怪我をしたことで、その怪我は防げなかったのだろうかと思ったことがきっかけです。そこで出合ったのが“ユニバーサルデザイン”という考え方。「障害者や高齢者、子どもを含む、あらゆる体格の人に配慮したデザイン」という考え方を調べていくうちにますます興味が深まりました。ユニバーサルデザインは、建築だけでなく幅広い視野からの知識も必要です。それを大学でしっかりと学んでみたいと思うようになりました。

キャンパスの雰囲気が
素晴らしい宮城大学に憧れて


 志望大学を宮城大学に決定したのは2年生の夏、オープンキャンパスに出かけたときです。キャンパスの雰囲気も良く、宮城大学の先輩たちに学校生活について質問したりしているうちに、この大学で学びたいという気持ちが芽生えました。公募制推薦での入学試験は面接と筆記試験。面接に向けては、さまざまな先生方に模擬面接をしていただきました。


授業に加えて補講や講習…
塾や予備校は必要ありませんでした


 高校3年間、塾や予備校には行っていませんが、学校での勉強で十分実力がついたと思います。1年生の冬に、東京での宿泊合宿に参加しました。予備校の先生や上智大学に在学中の先輩から勉強を教わったり、都内の大学を見学したり…。東京での経験によって大学受験に対する意欲が高まったと思います。基礎を固めるのに役立ったのが、1年生のときの基礎学力フォローアップ講座や公文学習などです。特に公文学習は、前半は中学校で習ったことの復習で後半は応用問題を解く、というものだったのですが、基礎の部分からしっかり確認できました。
 資格もたくさん取得しました。情報処理検定3級、ワープロ検定3級、英検2級、漢字検定2級、数学検定3級…。英検2級は1度目は不合格だったのですが、英語面接を英語の先生に特訓していただき、2度目で無事、取得することができました。


県内外から集まってきた
クラスメイトたちに刺激されながら


 仙台育英には県内外からさまざまな人が集まってきます。英進進学コースの特別 選抜クラスには、将来の目的をしっかりと持っている人が多かったので、とても大きく影響されました。いろいろなタイプの仲間に囲まれて、刺激しあいながらお互いに成長できたと思います。本当に勉強するのに最適な環境でした。
 
   

 
 
フレックスコース
練習後の「野球ノート」が
推薦入試合格につながった
のかもしれません


法政大学 人間環境学部 人間環境学科

に指定校推薦で合格


フレックスコース 3年 西澤 くん
台原中出身


災い転じて福となす!
自分を見つめ直すきっかけに


 小学生からの夢はプロ野球選手になること。高校でも存分に野球をやりたかったので、練習時間がたっぷり確保できるフレックスコースを選びました。家からも通えたのですが、少しでも多く野球に打ち込みたかったので、親元を離れ寮に入りました。
 2年生の夏、大きな試練がありました。バッティングピッチャーをやっていたとき、あごに打球が直撃。その瞬間、ボキッと骨が折れたのが分かりました。3週間の入院はつらかったですが、自分を見つめ直すことができ、結果的に良かったと思っています。それまで気付かなかったことも見えてきました。

部員全員で勝ち取った
甲子園への道


 仙台育英の野球部は夏、5年ぶりで憧れの甲子園に出場しました。自分は試合には出ることはできませんでしたが、ベンチ入りメンバーに選ばれ、グラウンドで大歓声を味わうことができただけでも幸せでした。
 野球部は大人数なので、どうしてもA班とB班に分けて練習をせざるを得ません。特に3年生はB班になるとA班をサポートする立場になるケースが多いのですが、みんな嫌な顔をせずに手伝っています。
 実は、怪我が治ってチームに戻ったとき、既に秋の県大会の予選が始まっていて、初めてB班でサポートする側に回りました。それまでB班がやってくれていたことを初めて理解し、部員全員の力で野球をやっているということを実感できました。B班の力があったからA班が伸び伸び練習でき、甲子園への切符を手に入れることができたのだと思います。


毎日の野球ノートで
社会への関心を高める


 野球部では練習が終わった後に、個々に野球ノートをつけることが義務づけられています。その日の練習の反省だけでなく、関心を持ったニュースについては新聞を切り取って感想を書いたりしました。練習で疲れ切った体でノートをつけるのはかなりきつい作業でしたが、社会への関心が高まったり、野球以外の一般常識を身につけたりすることができました。自分が指定校推薦で入れたのは、一つには、このノートのおかげです。また、怪我を乗り越えたことで精神的にたくましくなり、何事も諦めずに頑張ったことが、良い結果につながりました。
 東京六大学に進学が決まった仲間もほかにいますので、いずれ神宮球場で元チームメイトと戦える日を楽しみにしています。
 
   
   
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