印象記
 
EURO SCHOOL
2005年9月5日〜9月23日
スイス
オーストラリア
アイルランド


3年M1組 遠藤さん


 

スイス・ツェルマット

○ハイキング(9月7日)

マッターホルン

 この日は曇っていて、せっかくマッターホルンが近くで見られる良い機会だったのになかなか見ることができませんでした。ゴルナーグラードに着いたとき山田さんが花の名前を一つ一つ教えてくれましたが、伝言ゲームの様にして教えてくれたので後ろのほうに伝わる頃には別 の名前にかわっていたりして、あまり意味がありませんでした。「これはバナナの皮です。」と由子から伝えられて山田さんが言い出したのか、由子が言い出したのか分かりませんが、これだけは絶対後ろまで伝わったと思います。ここに咲いていた花はどれも小さくてきれいでした。一番心に残っている花は「悪魔の手の爪」という花で名前のわりにかわいい花でした。ここには雑草といえるような花は一つも見つかりませんでした。野性のエーデルワイスが咲いていたのを山田さんが見つけて珍しいと言っていましたが、エーデルワイスを初めて見る私には、あまりその価値を理解することはできませんでした。でもエーデルワイスを見たのは私たちが初めてだと聞いて少しうれしくなりました。マッターホルンとエーデルワイスでは大きさにかなりの違いはありますが、価値観にかわりは無いようでした。
 レストランの前にはたくさんの羊がいて、どの羊も暇そうにしていたので「羊になってみたいな。」と思ったのですが、昼ごはんに、子羊の料理を食べて羊も楽じやないな、と感じました。しかもそれが、かなりおいしくて羊に感謝!でした。
 大きくてたくましいマッターホルンと小さくてきれいな花たちに囲まれて自然の美しさを実感した一日でした。あと暇そうな羊も食べてみればこんなに美味しいものだということにも気付かされました。

○チャリティーコンサート(9月8日)

 コンサートをやるからには、たくさんの人に来てもらうため楽器や歌の練習のほか、ビラ配りがありました。最初、その話を開いたとき渡せば誰でも受け取ってくれるような簡単な考えでいました。しかしいざ配るとなると、受け取ってくれない人もいることに分かっていたはずなのに悲しくなりました。一人受け取ってもらえなくなると、あの人もきっと断られるだろうな、と考えてしまって次に踏み出すのに時間がかかりました。しかし私達の班の男子がとても積極的で残っていたビラを手分けして配ってくれました。コープの店の中にまで入って配っていたので、その行動力には驚くばかりでした。おかげですぐ終わり、お買い物が思う存分できました。思わぬ ところで思わぬ才能を発挿してくれた男子のメンバーには感心してしまいました。

 チャリティーコンサート本番では自分は珍しく緊張しませんでした。なので、はじめにあった楽器の演奏はとても楽しい気分で演奏できました。弦楽器のアンサンブルも音を何箇所か外してしまってそこで初めてつらい気持ちになりました。でも聞いているほうが何倍もつらかったんじやないかな、と今になって思います。でも演奏が終わって盛大な拍手をもらったとき、うれしい気持ちで心の中がいっぱいでした。司会の言葉は、盛大な拍手をもらった後だったので司会もいつ始めたらいいのか迷ってしまうほどでした。ドイツ語で言った後拍手がもらえて、自分のドイツ語が通 じてうれしくなりました。それとともにドイツ語の勉強をしたいと思うようになりました。なので、このコンサートはドイツ語に興味を持つきっかけにもなったコンサートでした。
 このコンサートには日本人の観光客の方も来ていて「荒城の月」や「涙そうそう」を−緒に歌ってくれました。スイスの人たちに日本の歌を披露するだけでなく日本人の方に自分たちの国には、こんなにいい曲があることを忘れてほしく無いということも伝えることができたような気がします。
 アンコールで「涙そうそう」を歌っているとき本当にやって良かったという気持ちと世界に自分の努力が認められたような誇らしい気持ちになりました。音楽は言葉とは違いどの国に行っても共通 している唯一のコミュニケーションです。そのことの意味を身をもって感じることのできた最高のコンサートでした。このとき流した涙は嬉し涙という言葉以上のものだったと思います。もう一度したいとも思いますが一度きりだからこそ、こんなにすばらしい演奏ができたのだとも思います。

○ツェルマットで学んだこと

 スイスのツェルマットには日本が学ぶべきことが、たくさんありました。その一つとして空気のきれいさです。ツェルマットには電気自動車と馬車以外は入れません。一見不便そうな気がしますが、この決まりはそこに住んでいる人達みんなで決めたことだというのでびっくりです。全ての家で花を育てているのも町並みをきれいにするため自分たちで始めたことだそうです。国からいわれてやっているわけではなく全て自分たちの意思で決めたというところに私は感心しました。これをもし日本でやるとしたら日本人は便利さを当たり前にしている人ばかりなので、みんなが協力するまでかなりの時間がかかってしまうと思います。だいたい日本はスイスのように国で決まった規則より町の規則を厳しくすることができません。まずはそこから変えていくべきです。
 ツェルマットはずっと空気のきれいな場所であってほしいと思います。日本には無いたくさんの自然を満喫できた三日間でした。

オーストリア・ザルツブルグ

○大聖堂

ミラベル庭園

 ザルツプルグ大聖堂は774年にアイルランド出身の司教で大修道院長のヴィルギルによって作られました。大聖堂とはいえあまりの大きさに驚いてしまいました。中は一見普通 の教会のようですが、左右に5つぐらいの部屋に仕切ってあって一つ一つ祈る場所がありました。どの場所も天井に絵が描かれていて、いたるところに彫刻があり、どれも美しいものばかりで見上げたまま見惚れてしまって首が痛くなりました。特に天使の彫刻なんか呼吸をしているみたいでした。そんな像達に囲まれると不思議と落ち着けました。あと茶色のたんすの様な小部屋があって上のほうには赤いランプがついていました。みんなの予想では「ざんげ室」とのことでした。私はそれを聞いて入ったら一生出られなくなるような気がしました。しかも工事中の部屋にまであったことにびっくりでした。生まれて初めて、「ざんげ室」(たぶん)というものを見て親近感を抱いたのは私だけだと思います。また来たい!と思ったので、そのときは本当に「ざんげ室」かどうか明確にします。

オーストリア・ウィーン

○シェーンブルン宮殿

 世界遺産であるシェーンブルン宮殿はテーマを宮殿にした私にとって、とても楽しみにしていた見学でした。
 宮殿の中には当時のままで物が展示されていました。その中で印象的だった物を紹介します。
 一つ目が宮殿に住んでいた女の人たちが暇つぶしにしていた刺繍です。いくら暇つぶしとはいえかなり本格的なものに見えました。宮殿での暮らしがどれほど優雅であったかが伺える展示物でした。
 二つ目はフランツ=ヨーゼフの書斎です。ここには温度計がそのまま残っていたり机の上には写 真たてが飾ってあったりして実際にここで仕事をしていたんだな、と思いました。思ったよりここの部屋は豪華ではありませんでした。
 三つ目は実際入ったわけでは無いのですが宮殿の裏に動物園があつたことです。あとから調べたらここの動物園にはキリンやパンダ、コアラまでいるそうです。宮殿の裏にあるから大きくは無いんだろうと思っていたのですがよく調べてみたら本格的な動物園だったので不思議でした。どうして宮殿に動物園が必要だったのか?このことについては個人テーマのレポートでまとめました。

○カブチーナ教会・皇帝墓所

中央墓地・シューベルトの墓の前

 活動班ごとの研修で、私たちの班はカプチーナ教会・皇帝墓所へ行きました。墓所と書いてあって私たちは日本の墓のように墓石があってその下に骨が埋まっているのだと想像していました。しかし実際行ってみたら地下に棺桶が並んでいたのでした。入るかどうかとても迷ったのですが、せっかく来たので入ろう、ということになりました。階段を下っていくとどんどん寒くなってきて、やめればよかったかな、と考えたのですがもう引き下がれませんでした。でも愛ちやん以外はみんな平気だったようで来て良かったのかなとも思いました。愛ちやんは絶対行きたくないと言って入ろうとしませんでした。萌香ちやんと晶子ちやんは中に入っていって写 真を撮って愛ちやんに「こんな感じでぜんぜん怖くないよ。」といってもだめで萌香ちやんと「棺桶の中には多分何も入ってないよ。」とすぐばれるような嘘をつきました。そして愛ちやんは少しずつ中に入ってきて作戦成功!と思ったのですが晶子ちやんが来て「本物が入っているのもたくさんあるみたいだよ。」と言ったので作戦は失敗で愛ちやんはまた戻ってしまいました。もう方法はないと思ったので「愛ちやんお金もったいないから入ろうよ。すぐ出るからさ。」と言いましたがだめでした。諦め掛けた時、加藤崇君が後ろから愛ちやんを押して、愛ちやんは強制的に中に入れられました。私のカバンにつかまつてヒーヒ一言っていました。中心に通 路があってその左右には棺桶が遠くまで並んでいました。奥まで行くとハプスブルク家の棺桶なども出てきてそこでお祈りをしている人もいました。小さな棺桶もあってきっと子供用です。棺桶は一見美しいのですが、よく見ると腕や首の無い人の像がくっ付いていたりしていました。一つだけ工事中の部屋があってそこには大きなマリア様のような像がありました。加藤崇君がそこに入っていってマリア様のような像をずっと見上げていました。「なにか会話したの?」と聞くと「生きてるみたいだ。」とだけ言っていました。
 さあ帰ろう、となったとき出口が無くて焦りました。順路というものを逆に回ったりしたようで、同じところを何度も歩いて愛ちやんはぐったりしていました。出口が見えたとき、やっと愛ちやんは元気を取り戻していました。大量 の棺桶に囲まれて怖い反面おもしろかったです。皇帝の人たちを至近距離に感じることができました。愛ちやんには悪いことをしてしまいました。

アイルランド・ダブリン

○ホームステイ

 初めてのホームステイは英語以外にアイルランドの生活についてたくさん学ぶことができました。実際体験することによって得たものがほとんどです。中でも印象的だったことが三つあります。
 一つ目は夕食後の家族の団欒の時間でした。日本で生活しているときは夕食後に家族みんなでテレビを見ることはありません。少なくとも私は一人で見ています。両親は仕事で疲れて先に寝てしまうので、ホームステイ先で経験した夕食後の家族みんなで見たテレビは家族の温かさを感じました。
 二つ目は通学時に使ったダブリンバスです。バスは二階建てでした。私は生まれて初めて二階建てバスに乗りました。二階は木の枝がバスにぶつかったり、下を見下ろすとジェットコースターに乗っている気分が味わえて楽しかったです。しかしずっと、その楽しさには浸ってはいられませんでした。なぜならバスがこれから止まるところを教えてくれないからです。はじめのうちは周りの風景を覚えようと必死でした。でも同じような家が並んでいて見分けがつかないので同じところで降りる人に頼ってばかりいました。乗るべきバスも14Aというバスだったのですが来たと思うと87や101など何番まであるのか疑問でした。時刻どおりにバスもなかなか来なくて大変でした。日本のバスの親切さを実感しました。
 三つ目は朝食が短時間で済んだことです。コーンフレークとパンを好きなだけとって食べたので時間にも胃腸にも良い朝食でした。日本だとご飯を茶碗一杯と味噌汁で、意外にもご飯は胃にたまる感じがするのでそのまま電車に乗ると酔ってしまうことがあります。なので、ここでの朝食はまさに私のためだけにある様なすばらしい朝食でした。

○ホームステイ先の家族

 家族はみんな優しくて楽しかったです。特にお父さんは私に毎日お弁当を作ってくれて感謝しています。お母さんは夕食の時よく話しかけてくれてアイルランドでのお得な買い物の仕方も教えてもらいました。オーストリアからの留学生が−人いて、そのひとは年齢不詳でした。でもワインを飲んだり車も運転できると言っていたので少なくとも私より年上だとおもいます。帰るときにスーツケースを運んでもらったのですが、壊しそうで怖かったです。ペットの犬はラブラドールのルーシーといってとてもかわいかったです。うちの犬とは比べ物にならないくらい頭が良くて静かで交換したいくらいでした。猫は部屋の窓を開けておくと勝手に入ってきて、はじめベッドに落ちてきた時はびっくりでした。家に帰ってくるとお父さんにきれいにしてもらうのですが、その後また外に出て行くので泥だらけで帰ってきていました。とにかくとても楽しくて借りた部屋のベッドも寝心地がかなり良かったのでまた行きたいです。
 お父さんにはお礼を言ったのですが、お母さんが朝寝ていてお礼を言えなかったので手紙を送りたいと思います。海外に知り合いができると自分の視野が広がったみたいでうれしくなりました。私は今回この家に滞在できて良かったです。日本では気づかされない家族の良さを感じることができました。

ユーロスクールを終えて

学校で友達になったシュホーンと

 長いと思っていた19日間もあっという間でした。一日一日が新たな発見ばかりで休んでいる暇がありませんでした。どの土地に行っても感動を与えてくれるものばかりで日本では感じることのできないことばかりでした。
 スイスでは地元の人がどれだけ自分の住んでいる土地を大切にしているか。便利さだけを追求していくだけが全てではないこと。そんな不便そうにみえるツェルマットはどんな大都市よりも魅力を感じました。
 オーストリアではモーツァルトの格好をしたかっこいい人がいてみんなでキヤーキヤー言って楽しかったです。あと皇帝墓所でも、まさかあんなに怖い思いをするとは思いませんでした。外国でこんな経験をしたのはきっと私たちの班だけだと思います。ほかの班に自慢げに話していたところを愛ちやんに見つかって怒られましたが私は行って良かったと確信しています。
 アイルランドではハラハラドキドキの連続でした。しかし学校でシュホーンという名前の友達ができてキティちやんのスタンプをもらったり、ホームステイで家にいる兄弟や留学生と会話できて日に日に英語を話すのが当たり前になっていった自分がうれしかったです。英語を話すことによって外国人の目線で、ことを考えることができました。このホームステイは私の英語に対して持っていた考えを覆すものでした。それはいくら英語力があってもそれをどれだけ発揮できるかは自分の持つ勇気しだいであることです。英語力が無くても知っている単語をつなげるだけで大体のことは通 じます。なによりも話そうという気力が一番大事なのだと思いました。
 今回訪れた土地はどこも日本と比べ物にならないくらい楽しかったです。私は帰国して日本にいても退屈だと初めて思いました。今後はもっと真面 目に英語やドイツ語を勉強して海外に行きたいと思いました。私に将来の夢も与えてくれたユーロスクールでした。

 
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