印象記
 
EURO SCHOOL で
感じたこと


3年M1組 勝見さん


 

 私はEURO SCHOOLには三つの大きな目的があったと思っています。一つ目はツェルマットでのビラ配りとチャリティーコンサート、二つ目はザルツブルグとウィーンという事前研修しただけの見知らぬ 街で、グループでの自主研修、三つ目はアイルランドでのホームステイです。私はこの三つの目的を果 たせるよう最大限頑張りましたが、体調が悪くウィーンでの自主研修ができず、残念ながら、二つ目の目的を完全に果 たすことはできませんでした。したがってここでは主に一つ目と三つ目の目的について話していきたいと思います。

 一つ目のスイスについて、私はこの国がEURO SCHOOLで行った国の中で3泊4日と短い期間ながら一番印象に残っています。その訳ははじめて訪れた外国であるという事が1つ、チャリティーコンサートが大成功のうちに終わったことが1つ、マッターホルンがきれいに見えたことが1つにあると思います。ツェルマットは人口約5500人と小さな街でしたが観光客の姿がとても多く、日本人の姿もたくさんありました。私達は登山列車でゴルナグラードへと行きました。山頂には日本人観光客がたくさんいてとても驚きました。そこから登山列車で一駅降りたあと、ハイキングをしましたが、濃い霧につつまれていて、逆さマッターホルンを見ることはできませんでした。次の日はいよいよビラ配り、そしてチャリティーコンサートです。朝、朝焼けのマッターホルンがくっきりと見え、とても感動的でした。ビラ配りを始めるときは8枚ビラを渡されて、本当にこのビラを1時間という短い時間ですべて配りきれるのかと心配になりました。しかし、いざ話し掛けてみると観光客の方々はとても優しくそんな心配をしていたことなどどこかへ吹き飛んでいってしまいました。結局、先生方に追加でビラをもらい1時間で12枚配ることができました。でも、ツェルマットは世界に知られる観光地だけあって世界中のさまざまな国々から人々が集まっていました。私は運良く?中国人と思われる人にしか会わずその人たちにもなんとかビラを渡すことができましたが、中にはなかなか言葉が通 じず大変苦労した人もいたようでした。

 そして、その夜、街の中央の教会でチャリティーコンサートが開かれました。ユースホステルで練習したときはなかなかうまくクラリネットが吹くことができず本当に大丈夫なのか?でも、今朝、マッターホルンがくっきりとこの街から見えた、だからこのコンサートは成功する、という気持ちでコンサートに臨みました。最初は観客がなかなか入らず、これでは寄付金が過去最低になってしまうのではと思いましたが、コンサートも終わりにさしかかると立ち見が出るようになり、とてもうれしかったです。結果 は、100スイスフランも寄付してくれた人もいて寄付金は過去最高の金額になったと聞いて皆、とても喜んでいました。私もとても嬉しかったです。

 そして次の日はオーストリアヘと旅立ちました。

 オーストリアではザルツブルグとウィーンという二大都市での自主研修がありました。ザルツブルグでは学年でモーツアルトの生家に行ったあと、自主研修で班でモーツアルトの住居に行きました。そこで日本語で案内するトランシーバーのような物を渡されたのですが、使い方が良くわからずやっと分かった時にはもう住居をでていく時でした。ウィーンでもオペラ座に日本語ガイドがあると聞いたのでその時こそ扱いこなしてみせると、思ったのですが……。ウィーンではミラベル宮殿を見学したあとにべルヴェデーレ宮殿の美術館を見学中に体調を崩してしまい、そのままホテルへと帰ってしまいました。よってテーマが音楽というのに音楽の都であるウィーンでの自主研修、班の予定だとハイドン記念館と国立オペラ座を見学できないというとても悲しい結末となってしまいました。

 そして、その次の日、ウィーンの中央墓地で著名な音楽家の墓を見学したあと飛行機でアイルランドヘと旅立ちました。

 アイルランドではこれまた初めてのホームステイがありました。最初はどんな人が来るのかとても不安でした。しかし来てくれた人はとても優しく少し安心しました。家の様子もとても静かでまさに私にぴったりの家でした。一つだけ残念だったのはホストファミリーの人と意思の疎通 が少しだけうまくいかなかったことです。それからの毎日は午前中は学校で勉強、午後はダブリン市のさまざまな場所に行く、という今までと比べると単調な毎日でしたが、午後に行く場所がとても楽しく、特にダブリンのクライストチャーチ大聖堂はとても立派でダブリン市街中心部にこんな歴史的建造物が残っているのかと、大変驚きました。また首相官邸が博物館の脇にまるで普通 の建物のように建っているのには驚きました。さすが、ヨーロッパで犯罪発生率が低いというのが実感できました。

 そしてホームステイも最終日となり、お別れパーティーにホストファミリーが来れないのは残念でしたが、無事、ホームステイ期間を終えることができました。

 そしてホストファミリーと別れた後、タラの丘やナウス古墳などの遺跡を見て日本に帰りました。
 この旅行で私は日本には無いさまざまな物事を学びました。このことを将来日本だけでなく海外の様々なところで生かしていきたいと思います。

 
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