平成17年度大学入試 大学合格者インタビュー 《国立大学&医学部進学者》
★医学部 現役合格者からのメッセージ
東北大学 工学部 建築・社会環境工学科
にAO入試で現役合格
平塚くん
秀光6年
石巻小出身
合格への近道は、
学校と先生を信じて
コツコツと努力することです。


■京都研修旅行のおかげで、
 漠然とした夢が形になりました


 「橋やダムのような100年以上残るものを造る人になりたい」。小学生のころから、土木技術者に対する漠然とした憧れがありました。そのころから目に見えない一本のレールが敷かれたような気がします。
 土木のことを知りたかった私は中学生になって間もなく、高校生を対象にした工業高校の講義を聞きに行ったことがあありました。そこで会った先生に、「土木に関心があるなら琵琶湖疎水を見てくるといい」と言われ、以来、そのことが頭の中から離れなくなってしまいました。
 4年生の京都研修旅行の自由研究論文のテーマに、迷わず琵琶湖疏水を取り上げました。明治時代に京都復興の大事業として計画された工事の足跡をたどるため、琵琶湖まで足を伸ばしました。感動的だったのは京都の南禅寺。古いお寺の一角にモダンなレンガのアーチ型の水路閣が今も残っていて、景観に見事にとけ合っていたのです。建築当時から100年以上経て、今は文化財として保護されている。自分もこういう仕事をしたいと、将来がはっきり見えてきました。
 失敗に終わった宮城県の野蒜築港と比較しながら民間活力に焦点を絞って書いた論文は、優秀賞に選ばれました。そのころからAO入試を意識するようになりました。
 6年の春、野蒜築港跡で下水道の遺構が発掘されたというニュースを聞き、もう一つ論文を書いてみようと思いたちました。発掘を指導された東北大学工学部の先生を訪ねて教えを受けながら、3カ月かけて二つ目の論文を仕上げました。「この二つをお土産に、自分をアピールしたい」という思いの通 り、面接では土木への関心や熱意、やる気をしっかり伝えることができて、ちょっとした達成感がありました。


■合格への一番の近道は
 学校を信じて努力することです


 私のハンディと言えば、石巻から通 う往復2時間という電車通学の時間です。そこで差をつけられたくなかったので、本を読んで勉強するなど、できるだけ有効に使いました。
 振り返ってみると、必ずしも順調なことばかりではありませんでした。あせって塾に通 ったり、いろいろな回り道をしましたが、結局は学校を信じて、先生の指導に従ってこつコツコツ地道に努力することが一番よかったと思います。気が付いたらいつのまにか実力がついていたというのが実感です。
 大学では、友達をたくさんつくり、スポーツのサークルでいい汗を流したいと思っています。
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東北大学 工学部 建築・社会環境工学科
にAO入試で現役合格
村田さん
秀光6年
多賀城市立多賀城小出身
ユーロスクールで
訪ねたスイスで、環境の
問題に目覚めました。


■ユーロスクールの体験が
 私の進路を決めました


 3年の時、ユーロスクールでスイスのツェルマットに行きました。四方を山に囲まれた美しい町で何より感心したのは、空気を汚さないためにガソリン車を一切走らせていないこと。人々の移動手段は、自転車か電気自動車です。とにかく空気が澄んでいて、美味しくて、同じ地球と思えないくらい。日本だと、どんなに田舎へ行っても車が排気ガスをまき散らしながら走ってますよね。私たちは気づかないうちに空気や自然を壊しているのだ、と恥ずかしくなりました。その時、「私もこんな美しい自然に携わる仕事がしたい。でも、まずは日本で地元の環境を守ることから始めなくては」と思ったのです。
 環境保全の研究ならば、歴史があって設備も整っている東北大が最適ですが、オープンキャンパスで理学部を見学しても、何だかピンと来ない。次に工学部へ行ってみると、建築社会環境工学科で植物を使った水の浄化実験の展示があり、環境保全を土木工学の分野と一緒におこなうという視点に感心しました。この研究室に入りたい、と具体的な目標がそのときにできました。


■先生や友達に励まされて
 勉強もラストスパート


 私は理系教科が苦手な文系人間で、数学や物理の成績が良くありませんでした。でも、本当にやりたいことがあるのだから、努力すれば何とかなる、と自分に言い聞かせ、東北大のAO入試の過去問を解き、授業で教わる基礎を中心に毎日欠かさず復習しました。自主研究は、工学部で見たものを自分なりにアレンジして、アサザ、ヒメスイレン、カイワレダイコン、二枚貝など身近な素材を使った水の浄化実験をしました。化学室のスペースを借りて2カ月ほど続けたのですが、AO入試では実験結果 よりも、その取り組み姿勢が評価されたのではないでしょうか。
 秀光で6年間学んだおかげで、先生や同級生と信頼関係が培われたことは、私の財産です。特に化学の東海林恵子先生は実験を見てくださったほか、ふだんの勉強でも細かいアドバイスをいただけたので、常に前向きでいられました。友達は一足先に志望校に推薦入試で合格したのですが、知らせを聞き「私も絶対に受からなきゃ!」と燃えて、勉強に力が入りましたね。
 後輩の皆さん、自分の興味・関心があることは、どこまでも追求してください。あいまいにしておくと、後で苦労します。私も試験準備が遅かったので、バタバタしてしまいました。今後は大学で学びながら、私にしかできない研究テーマを見つけていくつもりです。
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東北大学 工学部 電気情報・物理工学科
にAO入試で現役合格
的場くん
秀光6年
仙台市立加茂小出身

大好きなコンピュータで
人助けになる研究を
するのが夢です。


■模擬講義の面白さが
 学科選びの決め手になりました


 
小学校の時に通っていた塾で秀光のポスターを見つけ、楽しそうな雰囲気にひかれました。そのころからですね、大学進学を意識するようになったのは。「地元にいるなら東北大しかない」と思うようになりました。気持ちがしっかり固まって工学部の学科を絞ったのは、6年の夏にオープンキャンパスで模擬講義を受けてからです。
 ちょうど小学校に入ったころ、学校に初めてパソコンが導入されました。けっこう早い段階で自分のパソコンを持つようになってからは、毎日のように画面 に向かっていました。だから、大学でもコンピュータに関する勉強をしたいと思ったのですが、人とのかかわりが薄いような気がして決断できないでいました。受けた模擬授業はバーチャルリアリティーの技術をリハビリに役立てるという内容で、「この分野なら、人の役に立つことができる」と、気持ちが大きく動きました。
 実はAO入試の面接で自分の強い思いを伝えたかったのですが、人見知りして緊張する方なので、手ごたえは最悪でしたね。てっきり落ちたと思っただけに、合格の知らせを聞いたときは、今までの人生で一番感激しました。この気持ちを大事にし、将来は大学院に進んで研究を続けたいと思っています。

■上手に気分転換をして
 集中力を高めました


 仲間はみんな明るかったし、勉強の合間に村上春樹や真保裕一など好きな作家の本もけっこう読めたし…。秀光を選んだ自分の決断は正解だったと思います。一番の思い出はユーロスクールで、スイスのツェルマットが最高でした。ウインナーソーセージがとってもおいしかった!(笑)。教会でコンサートをやりましたが、緊張するたちなのでクラリネットを持つ手がガチガチ。楽しい気分にはなれなかったけど、達成感はありましたね。一人っ子なので、友達とわいわい言いながら一緒に過ごせた時間も、いい思い出になりました。
 家にいると集中できないので、勉強はもっぱら自習室を利用しました。5年生になってからは扉が閉まる夜の11時まで頑張りました。後輩の皆さんのアドバイスになるかどうかわかりませんが、「我慢をしてまで無理やり勉強しない」というのが、自分のやり方です。気乗りがしない時は思い切って気分転換をして、のってきたら集中する。メリハリをつけたほうが結果 的に能率が上がるのではないでしょうか。

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東北大学 理学部 物理学科
にAO入試で現役合格
大島くん
秀光6年
仙台市立中野栄小出身
東北大学は研究第一主義、
研究者には理想の環境です。


■物理の理論を学ぶなら
 東北大だと思いました


 私は昔から国語が苦手で、理系の教科に、より興味を覚えるほうでした。得意科目は物理です。電気や流体力学の分野が好きです。図書室で本を読むにもニュートンなどの理系の本ばかり読んでいます。物理は、今はこの状態だが何秒後にこうなる、という未来の状態を計算で出せるのが魅力です。海釣りが趣味で、女川あたりまで出かけてアイナメを釣ったりするのですが、仕掛けやオモリも、この流体力学が関係してくるのですね。釣りの最中も、バランスや水中の抵抗を計算している感じで、理論を考え始めるともうおもしろくてたまりません。
 昨年、秀光での特別授業としておこなわれた『出前授業』で、東北大学金属材料研究所・小林教授による「超電導」の講義を聴き、大学でこういう理論が学べたらいいな、と感動しました。それで工学部志望にしていたのですが、オープンキャンパスで見学してみたら、工学部は理論そのものではなく、理論を活用して他のものを作る研究がメーンとわかり、理学部に変更しました。
 東北大学は、地元だから選んだわけではありません。研究第一主義、施設の充実度などを考慮し、研究者にとって理想的環境だと思ったからです。


■物理以外の教科は
 授業だけで十分です


 物理はものすごく勉強しましたが、他の教科は授業がすべて。「物理だけ高得点、あとは平均より少し上でいい」が自分流です。秀光には経験豊かな先生が多く、とても分かりやすく教えてくださるので、真面 目に授業を受けていれば成績が下がる心配は全然ありません。私は塾も予備校にも行きませんでしたが、その分、授業では集中して先生の説明を聞きました。学校で渡されたテキストやプリントを繰り返し学んで基礎力をつけ、自宅学習は2〜3時間やったら、早めに就寝。だらだらやっても効率が悪いだけです。ただし、私のようなマイペース型は、科目ごとの成績がどのあたりなのか、きちんと把握しないといけないので、オープン模試は積極的に受けました。
 面接では、物理の答案について突っ込んだ質問が続きました。初めは口頭で答えていましたが、ちょうど面 接室に黒板があったので、「書いて説明しましょうか」と言うと、面接官が「どうぞ」と...(笑)。黒板に書きこみしながら、面 接官とやりとりしました。自分の情熱は伝わったような気がします。
 私には一生を捧げてもいい教科があったからこそ、頑張ることができました。たとえAO入試に落ちても、浪人しても、東北大学理学部を目指していたでしょう。後輩の皆さんも、好きな進路を見つけ、「絶対に夢を叶えるぞ!」という一念で、道を切りひらいてください。
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北海道大学 歯学部 歯学科
にAO入試で現役合格
五十嵐さん
秀光6年
塩竈市立塩竈第二小出身
手術のできる歯科医が目標、
今、その出発点に
立ったところです。


■手術のできる口腔外科の
 歯科医が目標です


 正直言うと、最初はただ漠然と歯学部を志望していたのです。ところが、調べていくうちに歯科と言っても虫歯の治療だけでなく、口腔外科の分野もあると知りました。たとえば、歯を失った人の歯ぐきにインプラント材のボルトを埋め込み、それを土台に人工の歯をつけると、本当の歯と変わらない優れた装着感が得られます。そういう口腔外科手術のできる歯科医がまだ少ないと聞き、「手術のできる歯科医になれば、たくさんの人の役に立てるんだ」と意欲が湧きました。北海道大学は、基礎教育から最先端の治療まで学べる機関で、立派な施設や講義プログラムの充実ぶりにも驚きましたが、何より感動したのは、キャンパス内に広がる豊かな緑!「こんな素敵な環境で学生生活を送りたい!」と感じた瞬間、初めて具体的な目標が定まった気がしました。

■特別な勉強はせず
 授業中心マイぺースで


 北海道大学歯学部のAO入試はユニークな出題形式で、今回は小論文、ディスカッション、手と頭の体操の3つでした。ディスカッションは、あらかじめ立場を決められて受験生同士で議論するディベート。自分の考えと異なる立場だと相手に論破されやすく、短時間で内容を整理して持論の優位 性を説明しなければなりません。協調性も評価されるので、出過ぎず、仲間をサポートしながら意見を述べるテクニックが必要です。手と頭の体操は、連続する切断図から立体を想像して粘土で再現するなど、思考の柔軟性と手先の器用さを求められました。
 このように対策の立てにくい入試が、マイペース型の私に合っていたのかもしれません。小論文は過去問をこなして先生に見ていただきましたが、あとは授業でノートをまめに取り、定期テストの上位 維持を心がけました。先生方を信頼していたので、塾や予備校に行かなくても不安は感じませんでした。

■3年時のキューバ研修で
 目線が変わりました


 秀光での6年間で、ユーロスクールとキューバ研修という貴重な体験ができました。特にキューバはスペイン語圏で、言葉は通 じないし、家も町もとても質素で、初めは戸惑いました。でも、姉妹校の生徒たちはすごく親切で、ごはんを一緒に食べている時も懸命にコミュニケーションを取ろうとしてくれます。私たちが音楽を演奏すれば皆が踊り出すノリの良さで、人間と人間が接する原点みたいな、温かい感動を覚えました。キューバは自由参加だったのですが、「こんな機会はないから行ってみたら?」と勧めてくれたのは両親でした。私を信頼して、たくさんの経験を積ませてくれた両親に感謝しています。
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筑波大学 第一学群 自然学類(数学)
に公募制推薦入試で現役合格
尾形さん
秀光6年
石巻市立石巻小出身
数学の先生になって
秀光に戻ってくるのが夢です。


■自然豊かな学園都市を見て
 やる気がわきました


 秀光で過ごした6年間、大きな行事はもちろん楽しかったのですが、私にとってはそれ以上に「普通 の日」、その一日一日が楽しくて、学校に行くのがいやだと思ったことは一度もありませんでした。そんな中で将来は先生になりたいという気持ちが芽生えてきたのです。
 3年生の時に、「教育の名門、筑波大学を目指してみたら」とアドバイスされ、私の気持ちが固まりました。そして筑波のオープンキャンパスで、「絶対入りたい」と気持ちがさらに強固になりました。自然に恵まれた学園都市筑波は、勉強するには最高の環境です。以来、受験まで4回オープンキャンパスに足を運び、やる気を高めました。


■手づくりのコンサートは
 感動の大きさが違いました


 学校生活は好きな音楽抜きでは語れません。小学生のとき鼓笛隊でトランペットを吹いていたこともあって、秀光に入学するとすぐオーケストラ部に入りました。その年、野球の応援で甲子園に行けたのは、一番の思い出です。すごい熱気の中での演奏は気持ちよく、ずっと興奮状態でした。毎年夏に行われるニューヨーク・シンフォニック・アンサンブルとのジョイントコンサートではプロの演奏に引き込まれ、まるで自分の技術が上達したような錯覚で演奏しました(笑)。
 ユーロスクールではツェルマットの教会でコンサートをする予定があったのでトランペットを持っていきたかったのですが、ちょっと無理だと言われ、授業で覚えたフルートを受け持ちました。町に出て案内のチラシ配りからやったのですが、本当にお客さんが来てくれるのか、演奏が始まるまで心配でした。だから、会場いっぱいの、しかも言葉が通 じない人たちから温かい拍手が返ってきたときはちょっと感激しました。全部自分たちで準備した手づくりだっただけに、感動もそれだけ大きかったですね。


■秀光でのすばらしい先生との
 出会いが私の将来を決めた


 私が進路を決めるきっかけになったのは、秀光でいい先生方に恵まれたからです。数学の面 白さを教えてださった先生、私たち生徒のことを真剣に考え、何でも相談にのってくださった英語の先生…。私が憧れを抱いたように、生徒たちに影響を与えられる先生になりたいと思っています。大学を卒業したらもう一度この学校に戻ってきて教壇に立つのが、今の私の夢です。
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山形大学 地域教育文化学部地域教育学科
に公募制推薦入試で現役合格
佐藤さん
秀光6年
東和町立鱒淵小出身
キューバでの体験が
進路を決める
きっかけになりました。


■私が進む道は母と同じ道、
 小学校の先生になることです


 今思うと、キューバ共和国との交流プログラムに参加したことが、私の進路決定に大きく影響したような気がします。支倉常長像の寄贈と仙台育英学園の姉妹校を訪問するのが主な目的だったのですが、キューバは経済的には豊かな国ではなく、質素な身なりの子供たちの姿をたくさん見かけました。そんな中でも一生懸命勉強しようとする子どもたちの姿に感動しました。驚いたのは、私たちがキューバの国歌を演奏し始めたとき、無邪気に笑っていた子どもたちの目の表情が突然変わったことです。姿勢を正して聴き入る姿からは、祖国愛が伝わってきました。「国の教育や地域社会の影響が大きいんだろうな」と、そのときは漠然と考えていましたが、山形大学に地域教育文化学部が新設されると知ったとき、キューバでの出来事が浮かびました。地域とのかかわりで教育を考えてみたいと思ったのです。
  実は母が小学校の先生をしていて、自分は教員にはなりたくないと思っていたはずなのに、結局は同じ道を目指すことになりました。少し大人になって、母の生き方を理解できるようになったのかもしれませんね。


■友達や先輩に励まされ
 乗り越えることができました


 合格できたのは勉強のやり方がどうこうよりも、多くの仲間に支えられたというのが一番大きかったと思います。寮生活ではホームシックにかかり、何度学校をやめようと思ったことか…(笑)。その都度友達や先輩に励まされて、今ではいろいろなことに積極的に取り組めるようになりました。
 Sports Challenge(体育祭)でチームリーダーを引き受けたのも、私としては大きな変化でした。私のチームは毎年ビリで、最初からあきらめムードだったのですが、何とか全体を盛り上げて初優勝に導けたときは感激でした。そのころは毎日帰りが遅く、一時は引き受けたことを後悔もしたのですが、ひとつのことをやり遂げたという満足感は、掛け替えないものになりました。
 私は公募推薦という受験の形を選びましたが、新設学部は前例がないだけに、面 接の直前まで他の受験生と情報交換をしながらも不安でいっぱいでした。それだけに続く後輩には、私なりに何かアドバイスができるかもしれません。皆さん、頑張ってください。
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★医学部 現役合格者からのメッセージ
弘前大学 医学部 医学科
に公募制推薦入試で現役合格
鈴木さん
秀光6年
丸森町立金山小出身
秀光での6年間で体験した
さまざまなことが、
将来の夢につながりました。


■イタリアでの環境会議で
 倫理と医学の融合を意識…


 医学を志すきっかけになったのは、4年のときに同じクラスの石川さんと参加した『地球環境青少年会議』。世界各国の中高生たちが出席する環境会議で、その年はイタリアのトリノで開催されました。その会議のなかでとても印象的な話がありました。人間の倫理観がないと技術の暴走が起こる、そこで問題になってくるのは世界規模では環境であり、個人的なところまで焦点を絞るとそれは医療における生命倫理ではないか…。そのときに私は初めて倫理と医学の融合を考え始めました。それがきっかけです。

■多彩なコンテスト出場の
 チャンスをいただいて


 公募推薦で弘前大学を受験しようと決めたのは、担任の関先生の勧めがあったからです。弘前大学は課外活動を評価してくれる大学。トリノの環境会議をはじめ、1年生のころから英作文コンクールや英語弁論大会、読書感想文などに積極的に出場し、数々の賞をいただいたこともあったので、それは有利なのではないかと言ってくださったのです。  秀光の6年間で経験したさまざまなことが将来の夢につながったし、これからも影響してくるのではないか、と思っています。
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秋田大学 医学部 医学科
に公募制推薦入試で現役合格
さん
秀光6年
仙台市立古城小出身
3日も休んだら大変なことに…
でもその分、秀光の授業は
やりがいがありました。


■ボランティア活動で社会的
 弱者の存在に気付きました


 将来について考えるきっかけは、秀光でSクラブに所属し、足長学生募金で街頭に立った時でした。大声で街を歩く人たちに呼びかけていて、このお金を必要としている親のない子供たちがいることに、自分のほうが気づかされたというか…。弱者の存在を知っていたのに、実体験としてちゃんと捉えていなかったんですね。
 学校で参加した梅田川清掃の時も、川に沈んだたくさんのゴミを見て、ああ、川も弱者なんだなあと思いました。人が何気なく捨てたゴミも、社会問題も、結局は抵抗できない弱者に押しつけられてしまう。だから、私は病人という弱者の手助けをしてあげたいと思っています。。


■授業を中心に予習と復習、
 ひたすらこれの繰り返し…


 秀光はレベルが非常に高いと思います。学校を欠席した後、自分で補習をしたらすごく量 があって、たった一日なのになかなか追いつけない。「三日休んだら置いていかれる!」と反省しました。私は塾に行きませんでしたが、授業中心にしっかり予復習をしていたので、センター試験に絶対の自信を持って臨めました。毎日の授業の積み重ね、これが合格につながったのだと思います。
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群馬大学 医学部 医学科
に公募制推薦入試で現役合格
菅原くん
秀光6年
仙台市立虹の丘小出身
秀光での日々の
授業と宿題をしっかり
やれば合格できます。


■模試を活用して
 弱点補強に努めました


 幼い頃、アトピー性皮膚炎で、ずっと小児科に通っていました。その先生がとても親切だったので、自分も医者になって苦しんでいる患者さんを助けたいと思うようになりました。群馬大学医学部の医学系研究は、文部科学省が定める平成16年度の21世紀CEOプログラムに採択されています。また、「良医養成のための教育プログラム」も文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム」に採択され、群馬大学が国内で評価の高い研究機関で人材育成にも力を入れていると知り、進路に選びました。
 受験勉強といっても、予備校にも塾にも行かなかったし、自宅学習もそれほどしたわけではありません。秀光の授業は教科書以外に問題集、オリジナルのプリントを使い、レベルが高いので、授業と宿題をきちんとやっていれば大丈夫です。ただし、模試だけは必ず受けていました。模試は受けた後が大切で、各分野ごとに何点、何%とデータが出てくるので、点数が低い箇所を重点的に復習して弱点補強に努めました。


■生徒会長を務めた実績も
 推薦なら評価されます


 私は、秀光中等教育学校の初代生徒会長です。リーダーシップよりも協調性を重視し、会長一人が引っ張るのではなく、皆で相談して決められる生徒会を心がけてきました。何しろ初代なのでゼロからのスタートは大変でしたが、参加者の心をひとつにまとめ、秀光祭を成功させることができたので、満足しています。それから、海外で日本語を勉強している学生をパネリストとして招待し、開催される日本語サミットに日本代表で参加しました。外国の人たちと1カ月以上全国各地をまわり、ワーキングセッション・スピーチ・観光・パーティーと、緊張しながらも有意義な時間を過ごせました。
 部活は、オーケストラでチューバを担当していました。3年生の時、支倉常長像の除幕式参加でキューバに行き、キューバ国歌やさくらさくらなどを演奏したのが忘れられない思い出です。スポーツの面 でも、小学校から水泳を習っていて、2年生と3年生の時に多賀城市の水泳大会で優勝しました。体力と根性、そしてここ一番という時の集中力は、水泳で鍛えられたものです。今思い返してみると、勉強よりも課外活動のほうが熱心だったかもしれません(笑)。
 一般入試は試験の点数だけで判断されますが、公募推薦なら課外活動も評価してくれます。私は今まで何にでも興味を持ち、積極的に取り組んできたので、人間性や活動実績も合わせて判断してほしいと思い、面 接でもその部分をアピールしたのが良かったと思います。医学部でもたくさんの知識を吸収し、新しい目的に向かって前進していきたいと思っています。
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岩手医科大学 医学部 医学科
に公募制推薦入試で現役合格
斎藤さん
秀光6年
宮城教育大学付属小出身
毎日コツコツと少しずつでも
勉強を欠かさなかったこと、
これが良い結果に… 。


■6年間の整ったカリキュラム、
 これなら夢を実現できる!!


 両親が医者。だから医師としてのやりがいも、大変さも見て育ちました。同じ道に進みたいという気持ちが芽生えたのは小学校5年生のとき。祖父の入院がきっかけでした。担当の先生や看護師さんたちの私たち家族へ向けられる思いやりを感じ、医学への憧れが強くなったのです。
 両親と一緒にいろいろ調べた結果、秀光の中・高一貫の整ったカリキュラムなら夢を実現できると思い、入学を決めました。学校での授業は大変なところもありましたが、日々コツコツと少しずつでも勉強を欠かさなかったことが良い結果 につながったと思います。。


■5年間練習を続けたフルートは
 私の一生の趣味に


 秀光では1年生から一人ひとりが自分の楽器を持って練習しています。私はフルートを担当。最初は音を出すのに苦労しましたが、5年間練習したので、それなりに吹ける曲も増えました。一生楽しめる趣味に出合った感じです。もう一つ自慢できるのは、1年生から3年生まで授業で習った日本の伝統文化「なぎなた」です。初めての経験でしたが、おかげで精神統一ができるようになり、これからも何らかの形で続けていきたいと思っています。
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