2004 TOPICS 国語弁論大会
   
 

最優秀賞
乾く日本人
秀光1年 若山さん(仙台白百合学園小出身)

   
   日本人が乾いている!そんな事を言ったら何のことかと首をかしげる人が大半だろう。当然のことながら、日本という国は水が乏しい国ではないし、ましてや米のよく育つ、豊かな湿地帯が広がり、大変水の豊富な国であると言えるほどである。それ故、「乾く」という言葉は、日本という国土には非常に不似合いな言葉に思われる。しかし、「日本文化の崩れ」という面 から考えれば、そう間違った言葉ではないのである。

 最近よく耳にする「むかつく」「やばい」等の言葉。これは日本語だろうか。十代の若者のみに通 じれば、「真の日本語」と言えるのだろうか。これが、私の考える最も身近なしかし最も重大な「日本人の乾き」である。

 よく、欧米からの客人が日本人の挨拶の仕方や話し方を見ると、「しっとりとした、落ち着いた」といった印象を受けるという。それは決して間違いではなく、昔から日本が築き上げてきた、良き文化なのである。しかし今の日本人(特に十代の若者)にその文化は反映されているだろうか。もちろん、全く反映されていないというわけではない。けれど受け継がれてきた日本の「美しい言葉」は失われつつあるように思われる。「美しい言葉」を失ってしまう原因は何だろうか。

 第一に、機械のハイテク化が挙げられると私は考えている。近年、携帯電話は、誰もが使用し、また容易に扱うことができる機械である。生活面 では大変便利になったが、その一方でコミュニケーションを安易にとることができるようになり、「真心」を持って人と会話をするということを忘れがちになってしまったのではないだろうか。遠くの人とも、話をしたいと思った時には、すぐ話をすることができる、手紙のように何日もかけずにメールですぐに用件を伝えることができる。その安心感が、「日本人の乾き」をかえって助長してしまう結果 となったのではないだろうか。

 第二に考えられるのが、服装の変化である。江戸や明治、大正とそれ以前から日本人に親しまれてきた着物。帯をきちんと締めることから、着物とは気持ちを引き締めてくれる衣服であったと言っても間違いではない。また着物を着ると、自然と歩幅が狭くなり、動きがしなやかになることから、出てくる言葉もそれに合わせて上品な言葉になったのではないだろうか。しかし現代はスカートやズボンが一般 化し、着物を着用している人は特別な行事がない限り極度に少ない。洋服は動きやすく、活発な動作が可能になることから、自己表現をより豊かに行うことができ、それに従って言葉の乱れが出始めてしまったのではないだろうか。

 機械や衣服、時代の流れによって、失われつつある「日本の美しい言葉」、それは他の国々にはない、しっとりとした、日本のすばらしい文化の一つである。今、日本に住む私達にできるのは、乱れつつある日本語を修復し、これからも日本の良き文化を受け継いでいくことである。歴史と文化の織り込まれた、しっとりした日本語が乾くことのないよう、常に潤いを持って生活していきたい、と私は考えている。