2004 TOPICS 国語弁論大会
   
 

思いやりをもって
秀光2年 齋藤さん(矢本町立赤井小出身)

   
 

 あなたは本当の優しさにふれたことがありますか。

 私の地元小学校にはひまわり学級という教室があり、そこには私より三つ年下の女の子がいました。その子は言葉もろくに喋れませんでしたが、いつもにっこり笑っている明るい子でした。私はその子の教室によく遊びに行きました。そして、ひまわり学級の先生ともいろいろ話をするようになりました。ボールを弾ませたり、パズルをしたり、言葉が伝わらなくともその子がうれしいと感じている時や怒っている時は分かります。けれども分からない時もありました。何が嫌なのか急にかんしゃくをおこし、顔を真っ赤にして涙目になりながら叩くのです。私は驚いて助けを求めるように先生の顔をのぞきました。先生の顔はいつもにましてやわらかい表情で、決して怒らずに
「どうしたの、大丈夫、大丈夫だから。」
と言いながらその子をなだめていました。その時の先生は、とても優しく、大きな安心感でその女の子を包んでいるように見えました。私はその光景を見ていて、自分ならイライラして態度に出てしまうのではないかと思いましたが、それに比べ先生の優しさは無理をしているのではなく、先生自身の内面 そのものから大きな愛情があふれ出ていると感じました。それに気付いた私は、自分も先生のように自然に思いやりをもって人に優しく接してあげられるようになりたいと思ったのです。

 ある日突然、 「ひまわり学級の児童が人身事故で亡くなった。」 と何の前ぶれもなく、不幸な知らせが届きました。それは紛れもなく、昨日一緒に遊んで笑っていたその女の子を指す言葉でした。一瞬訳が分からなくなった私は、体の芯が急速に冷え冷えとし、暗くて痛い莫大なものに強くうちのめされるのを全身で感じました。翌日、学校で校長先生から 「その女の子は電車が大好きだったために、親が見ていない時一人で外へ出て行き、線路の上で電車が走ってくるのを手を振って見ていた。」 という説明を受けました。どうしてそうならなければいけなかったのかと深い悲しみに陥りました。そこで初めて、その子が障害者だったんだと思いました。電車にひかれて命を落とす事を知らなかったのです。一週間後、その子の母親からの手紙の中に、こんな一文がありました。
「もし線路で遊んでいる子がいたら、この子の話をして、叱ってください。 」
 
二度と同じ悲惨な事故を起こさないために、今私達に何が出来るか考えさせられました。それは、ちょっとした気遣いや配慮だと思います。障害者が安心して過ごせるように、周りの優しさがなくてはならないのです。あの日、線路に一人で歩いて行くその子を誰か気付いて声をかけていたら…。今になってもその思いは消え去ることがありません。

 困っている人や様子が変だなと気付いた時は、自然に声をかけてあげることが大事だと思います。小さな配慮をほっとした気持ちに変えてほしいのです。そして、私達の周りの皆さんを、ひまわり学校の先生のような本当の優しさや、沢山の思いやりの重なりによって変えてあげたいのです。

 落とさなくてもよかった命を、その悲劇を二度と繰り返さぬようにと、私は強く思います